ベートーヴェン『交響曲第5番』。カール・ベームとカルロス・クライバー。
<ベートーヴェンの音楽は、そのどの部分をとってみても、今私たちがきいている、その部分が、曲全体の中のどこに当たるかがはっきりわかるように書かれている。今、私たちがどこにおり、どこに向かって前進しているか、あるいは何から離れてきたところか・・・>(フルトヴェングラー)
いつ聴いたのか、観たのか記憶は定かでない。おォ~なんとロマンティシズムにあふれたベートーヴェンか!と印象した「運命」こと「交響曲第5番」。演奏のいい悪いではなく・・・。そのとき思ったのだ、大ドイツ(帝国といってはまちがいか?)が鳴っているのではないかと。それは、カール・ベーム(Karl Böhm, 1894 - 1981)の「第5番」だった。若き日に記憶に刻まれ、心底わが思い込み、刷り込みの定型となったベートーヴェンの「運命・5番」はたぶんこのカール・ベームの解釈と同型の「運命」ではなかったか・・・とその時思ったのだった。で、さっそくネット図書館で検索した。しかしなんと、この傑出した音楽史的名指揮者のベートーヴェン「運命」こと「交響曲第5番」が所蔵されていないのだった。で、たまたまわが町の図書館に所蔵されていたカルロス・クライバー(Carlos Kleiber, 1930- 2004)の「第5番」を借りてきて、この不滅の名曲を聴いた。好い悪いの聴き比べなどではなく・・・。父親世代のカール・ベームと、子世代のカルロス・クライバー。その解釈演奏の違いは如実だ。重厚でロマンに満ちた大ドイツの「運命・5番」といっていいカール・ベーム。それに比し、歯切れのいいハツラツとした切れ味するどい緊張感のあるカルロス・クライバー。戦前の重厚ロマンな帝国ドイツと戦後の生まれ変わった堅実民主ドイツといった風情とは短絡に過ぎる比喩だろうか。たぶん、いまの主流解釈演奏はカルロス・クライバーの方なのだろう。
だが、何度でも言おう。演奏の好い悪いの比較などではまったくない。カール・ベームの「運命・5番」には、胸にグッと来るものがあり、ノスタルジックに余韻が漂うのだ。楽譜に忠実で楽曲の意図にそった正統な解釈ウンヌンなど以前に、それはまさしくカール・ベームのベートーヴェンであり、それでいいのだと・・・。もちろんカルロス・クライバーのまっすぐな引き締まった「運命・5番」もまったくすばらしいのだ。
1. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第1楽章
2. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第2楽章
3. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第3楽章
4. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第4楽章
2. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第2楽章
3. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第3楽章
4. 交響曲第5番ハ短調 op.67「運命」 第4楽章
Beethoven Symphony No.5 Movt 4 - Karl Böhm, Wiener Philharmoniker
胸にグッと来る・・・まこと涙もの。
胸にグッと来る・・・まこと涙もの。