yuki-midorinomoriの日記

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『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える)』(人文書院・岡田暁生著)。

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第一次世界大戦こそ私たちが生活している「現代世界」の基本的な枠組みをつくりだした出来事だったのではないか、依然として私たちは大量殺戮・破壊によって特徴づけられる「ポスト第一次世界大戦の世紀」を生きているのではないか-共同研究班において最も中心的な検討の対象となってきた仮説はこれである。≫(「レクチャー 第一次世界大戦を考える」の刊行にあたって)

ヨーロッパ、西洋文化が主導的に作りあげてきた今日の歴史を考える時、決定的な結節点は第一次世界大戦(1914-18)であった。これは、わが極東ニッポン人にとっては、実感の欠しい受容の仕方かもしれない。直接的にはむしろ、後の、第二次といわれる世界大戦、太平洋戦争が一般的な認知、了解となるのではないだろうか。もちろん、ヨーロッパ世界も、第二次世界大戦が、その後を決定付けた大きな歴史的事象として存在したことは、謂うまでもないことだが・・・。さて、ネット図書館で借りた(この冊子も予約者多く、だいぶ月日が経って手にすることができた)『「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える)』(人文書院岡田暁生著)は、こうした今まで欠落していたと思われる、音楽史にとっての第一次世界大戦の意味をいま一度検証する試みの論考なのだ。おもしろく読めた。

音楽史における第一次世界大戦は、「クラシック音楽の時代」の「終わりの始まり」である。大戦前の1900年代(世紀転換期)においてヨーロッパ作曲界の指導的立場にあったのは、1860年前後に生まれた作曲家たちであった。プッチーニは1858年、マーラーは1860年、ドビュッシーは1862年、リヒャルト・シュトラウスは1864年に生まれている。彼らの作品が今日なお「クラシック」のレパートリーの中心であり続けていることは、言うまでもあるまい。しかしながら、大戦勃発を目前にした1910年前後になると、従来のクラシック音楽のイメージを根底から突き崩すような作品が次々に生まれてくる。その典型のひとつがシェーンベルクの無調音楽である。・・・

今日コンサートホールで演奏されるクラシック音楽のレパートリーのうち、第二次世界大戦より後に作られたものが占める割合の小ささは、驚くほどである。バルトークのようにかなり知名度がある作曲家にしても、その作品が上演される頻度は、例えばベートーヴェンブラームスチャイコフスキーと比べれば、微々たるものだろう。一昔前のレコード店ではよく、シェーンベルクヒンデミットバルトークの作品が、「クラシック」ではなく「現代音楽」のコーナーに置いてあることがあった。1910~20年代にかけて作られた曲ですら、20世紀後半になってなお、「現代音楽」に分類されていたのである。一見時代錯誤とも見えるこのカテゴリー分けは、第一次世界大戦を境にして生じた西洋音楽史の質的変化を端的に示している。19世紀市民社会が作り出したクラシック音楽の語法・美学・制度とは決定的に違った音楽が登場してくるのが、第一次世界大戦前後のことなのである。≫(上記書)


根こそぎの価値崩壊がもたらした不安の時代。世紀転換期1900年代から第一次世界大戦
哲学・思想においても、フロイトソシュールフッサールハイデッガー等々の巨人たちはこの時代の画期≪「現代世界」の基本的な枠組み≫をなすコンセプトを提示している。そしてまた、先日来、拙ブログ記事に投稿している、中心をもてず、もたない不安漂うが如くの無調12音音楽を美学した新ウイーン楽派の形成も・・・。

いまだに、コンサート会場で演奏されるのは、ほとんどがモーツァルトベートーヴェンシューマンブラームスチャイコフスキードビュッシー等々であるのは、第一次世界大戦以前とほとんど変わらない。演奏会場に出向き、畏まってクラシック音楽を厳粛に鑑賞する姿、風景は変わらない。根こそぎの価値崩壊に直面した世紀転換期。音楽史の苦闘、時代の苦悶、苦悩に結実した(第一次)戦後の音楽は聴かれることまことに少ない。シェーンベルクウェーベルン、ベルクとていまだにそうだ。

――「クラシック音楽」はいつ終わったのか?






Anton Webern - Passacaglia per orchestra Op. 1(1908) - Egon Schiele