yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

まど・みちお『100歳のことば』。

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ぞうさん

        


     私は私という人間ですけど、
     こういう人間になってここにいようと思って
     ここにいるわけではないんです。
     私だけでなくてあらゆる生き物がそうなんです。
     気がついたら、そういう生き物としてそこにいる。
     ということは、やっぱり、
     生かされているっちゅうことじゃないでしょうか。
     ・・・


     私が年をとって、やがて死んでいくということは、
     白分の力ではどうなるものでもありません。
     人間に限らず、すべての命は必ず始まりがあって終わりがあるわけでね。
     無生物だって、やはり永遠ではなくて、変化していきます。
     すべて無限ではなくて有限なんです。
     ですから、そのことを悲しんだりはしません。
     これは仕方のないことだと思い、
     生かしていただいているいまをありがたく思っています。
     この年になると、天の思いというか、宇宙の意思というか、
     そういうものに生かしていただいている、というのが実感されるんです。

     涙っちゆうのは、感極まつたときの最終的な受け主なんです。
     その涙が、最近では、なんというか、大売り出しみたいに出て来る。
     戦争やら災害やら事件やら、ニュースを見ていても
     悲しい話ばかりですからね。
     ただ、それでも我々は「もうダメだ」と思わないで、
     微力ながら、なんとか、ちゃんと生きていこうとしますね。
     そう考えると、やっぱり人間は捨てたもんじゃない。



     祖父と暮らした六歳から九歳のころの記憶は、
     私の作品すべてに影響しています。
     いつも寂しかつたけれど、いま考えるとそれが良かったですね、
     シーンとした田んぼに独り。空にはヒバリが鳴いている。
     寂しさを感じている状態が、
     詩を書きたくなる状態と似ているのです。

     いちばん記憶に残るのは匂いです。
     たまにかくれんぼなんかして、ものかげに隠れると
     なんともいえない不思議な匂いがしてね。
     いま考えると、ドクダミの匂いなんです。
     ドクダミの匂いは、嫌いでしょう?
     でも私は親しみを感じます。
     嫌だと感じるものには、何かあるものです。
     すべてマイナスというものはありません。

          「詩人・まどみちお 100歳の言葉」(新潮社)より


まど・みちお『100歳のことば』。
町の図書館で借りてきました。