伊福部昭の芸術5『楽 協奏風交響曲/協奏風狂詩曲』。落語『寿限無』の「パイポ パイポ パイポのシューリンガン」に聞こえてしょうがない心的高揚もたらす執拗な拘りのオスティナート。
黛敏郎、芥川也寸志、松村禎三ら多くの俊秀作曲家を薫陶した?民族派の作曲家であり教育者の伊福部 昭(いふくべ あきら、1914 - 2006)。この作曲家のアルバムがネット図書館で所蔵されていたので借り受けた。『楽 伊福部 昭の芸術5 協奏風交響曲/協奏風狂詩曲』。今までに以下の3稿を投稿している。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/43003543.html 強烈な沸き立つ民族(民俗)感性のほとばしりをオスティナートの高揚に聴く伊福部昭の『ピアノと管弦楽のためのリトミカ・オスティナータ』(1961)
ズバリ、オスティナートの心的高揚に民族音楽の精神をつよく押し出した作曲家。もう出だしから、これは伊福部 昭とはっきり分かるような特徴を持つ作曲家。コレバッカといえなくもない字義どおりの執拗さ、こだわりだ。好きな人は好きといった曲調といえようか。収録の「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」など作曲年が太平洋戦争への突入の年、1941年という時局もあったのだろう、いっそうの高揚感もたらす激しいオスティナートの多用だ。そのオスティナートがまるで落語の『寿限無』(じゅげむ)にある「パイポ パイポ パイポのシューリンガン」の囃子文句の「パイポ パイポ パイポ」に聞こえてしょうがないほどなのだ。「パイポ パイポ パイポ」。
だけど、私に言わせれば、このこだわりのオスティナートより、2曲目の「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲」冒頭より展開される、すばらしいヴァイオリンソロの民族性を保ちつつの洗練された旋律性のほうが本領の叙情性ではないのかと思ったりするのだけれど。