ヴォーン・ウィリアムズ『交響曲第6番』。ヴォーン・ウィリアムズに抱く≪田園情趣ただよう牧歌的な民俗的響き≫のイメージは大きく覆される。
「吾らは夢と同じ糸で織られているのだ、ささやかな一生は眠りによってその輪を閉じる・・・」(シェイクスピア)
きょうも、ラジオから流れていた曲に印象しての投稿。イギリスのレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872-1958)の交響曲。聴いたのは緩徐楽章部分だけだったのだけれど。これがよかった。
ラジオから流れていたのは以下だった。
ラジオから流れていたのは以下だった。
で、さっそくネット図書館で借りるべく検索したのだけれど、(いつものとおり?)あいにく所蔵されておらず、これまた次善として、きょう投稿する『交響曲第6番』を借り受けた。ところでヴォーン・ウィリアムズといえば、以前
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/58997677.html ヴォーン・ウィリアムズ『グリーンスリーヴズ幻想曲~ヴォーン・ウィリアムズの世界』。大英帝国の落日を牧歌的なまでにノスタルジックに歌い上げての民俗的情趣は魅力。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/61594909.html ヴォーン・ウィリアムズ『ロンドン交響曲(交響曲第2番)&ヴァイオリン協奏曲ほか』。≪田園情趣ただよう牧歌的な民俗的響き≫。黄昏、落魄、斜陽の、切なくノスタルジックで甘美な美しさもいいものだ。
と投稿した折に綴ったごとく、≪田園情趣ただよう牧歌的な民俗的響き≫のイメージがわが想念として作られていたのだけれど、きょうの『交響曲第6番』はそうした思い込みをなかばぶっ潰すような激しさをもった音響造形を曲趣とするものだった。≪おしなべて静かで、輝かしい雰囲気≫(同梱解説)の支配する先の「交響曲 第5番 ニ長調」(1938-1943)とは作風が大きく異なっている。激しさをもった音響造形を主たる曲趣とする『交響曲第6番』は1944年から1947年にかけて作曲されたという時代性(世界大戦終戦)ゆえの刻印を表徴するものといわれているよし。作曲家自身はそうした評をにべも無く一蹴とのことだけれど。
Vaughan Williams Symphony No. 6 - 3rd mvt. - Stokowski conducts