河野裕子遺歌集『蝉声』。歌人の無念が、哀切なまでに紡がれ綴られている病臥記といったほうがいいのかもしれない。
で投稿しているのだけれど、いままでに歌集を手にまとまって歌を読んだことがないので、せめてというわけで、遺歌集『蝉声』をネット図書館で借り受け読んだ。癌に蝕まれ死に逝くその病臥、身体の衰弱のさま生々しく、したがって歌もしなやかに、剄く純化結晶すること叶わず直接的で、痛々しく読むにはがツライものがあった。尽きる命を前にしては無理もないことなのでしょうが。歌集というより、「死より深き沈黙は無し今の今なま身のことばを摑んでおかねば」「しがみついて生きてゐたくはあらざれど一生(ひとよ)を生き切りことばは残す」との歌人の、歌への念い、無念が、哀切なまでに紡がれ綴られている病臥記といったほうがいいのかもしれない。
これからが楽しい筈の人生の筈につかまりとにかく今日の一日 死なむとせし若き日のかなしみが清らにも思はる齢とり病めば お婆さん、手袋おちましたよと後ろより言われる日が来る ハイと振りむく日が 白梅に光さし添ひすぎゆきし歳月の中にも咲ける白梅 一日ひとひ死を受けいれてゆく身の芯にしずかに醒めて誰かゐるなり 生まれた日から死ぬる日までの短さよ日ぐれの裏木戸うしろ手に閉む しがみついて生きてゐたくはあらざれど一生(ひとよ)を生き切りことばは残す もう一度の生のあらぬを悲しまずやはらかに水の広がる河口まで来ぬ 死より深き沈黙は無し今の今なま身のことばを摑んでおかねば ぼんやりと淡々とこの世を過ぎてゆかう梅が咲いた桜が咲いたと さびしさは言ひ様もなきものなれば床下に生えゐるハコベをのぞく 箒持ち佇ちゐる人はお辞儀せりそれはすなはち私のことなのだが 露おびし月のひかりはさびしもよ見あげて眠る今日もひとり この世のものならずただ澄みてあかるき暗がりにひぐらしがなく