yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

重大な国の不作為の過失。テロも軍事にも気をかけぬお気楽太平楽なわたしたち。斯様に思えてくる。

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先日、目を啓かれた思いのする新聞コラム記事に出会った。情緒に流される論説の多いなか、これぞジャーナリストの仕事ではないかと・・・。全文を掲載させていただく。

それにつけても、いま、科学者は完全に萎縮してしまっている。甚大な災害のことを思えば無理もないことと了解しつつも、ゆゆしきことだと私は思っているのだけれど。

科学者こそが、限りのない、分からないことの上に人間知は存在するのだと、自らを研究に駆り立てているのではないのだろうか。


「私が人生の中で知った最大のことは、知らずに生きつづけるということです。すべてが神秘であるが、それがひとつひとつわかるようになるのです。」(リチャード・ファイマン


【 原発に潜む「ブラックスワン」――安全思想の再点検が必要。

「民間は知らされていなかった」と日本原子力技術協会の藤江孝夫理事長は話す。米原子力規制委員会(NRC)が2001年の同時テロ後に発した原子力発電所の安全対策のことだ。テロ攻撃で原発が全電源喪失に陥ったり使用済み燃料プールが狙われたりする事態を想定、原子炉やプールの冷却機能強化を電力会社に求めた。対策を記した文書中の「章・節」の記号から、「B5b」と関係者は略号で呼ぶ。
 指令の内容は東京電力福島第1原子力発電所事故後の昨年5月まで非公開だった。日本原子力技術協会は原発のトラブル情報を共有し技術規格を作成するため電力会社やメーカーが組織した団体だが、それまでB5bを知らなかった。だが藤江理事長は、韓国や台湾の電力会社はとうに知っていたのではないかと思えてならない。福島事故後の情報交換で、非常用発電機などの増設を知った。「B5bを受けたものか明言はないが、承知の上との印象がある」

 日本の民は知らなかったが、官は当然知っていた。NRCは02年にテロ対策に関し日本の原子力安全・保安院に助言を与え、B5bの内容も伝えていた。これを受け保安院は05年の法改正で核物質に関する情報漏洩の罰則を強化。原発敷地内などの警備も増強した。しかし非常用設備が攻撃され機能を失う事態をも想定した対策を電力会社に指示することはなかった。米国の助言はテロ警備の強化策だと狭く解釈したのだ。海外で設備見直しに踏み込んだ対処例があるなら、日本も非常用設備の台数や配置を見直してもよかった。なぜそうしなかったのか。「(今となっては)批判は受け入れざるを得ない」と保安院幹部は話す。

 米NRCは3・11後、いち早く、同様の事故は米国内では起きないと言明した。B5bにより全電源喪失への対応策が実施済みだったことがその根拠だ。昨夏、米中西部のミズーリ川が氾濫し、近隣の原発が冠水した。津波と洪水では災害の性格が異なるものの、大事に至らなかったのは、重要機器を水没させない備えがあったからだろう。3月以降、日本国内の原発でも非常用発電機を高い場所に増設するなど緊急対策をうった。ようやくB5bの発想を取り入れたともいえる。

 だが真の問題は、従来の考え方だけで不十分かもしれないという点にある。多くの自然・社会現象は「べき分布」を示すとされる。例えば小規模な地震は発生頻度が高く、規模が100倍、1000倍と大きくなるにつれ、頻度は100分の1、1000分の1と小さくなる。物事がこんな現れ方をするのがべき分布と呼ばれる現象だ。

 ソニーコンピュータサイエンス研究所高安秀樹シニアリサーチャー(統計物理学)は「地震などの自然現象、株や為替の市場価格の変動がべき分布を示す」ことを研究している。べき分布では、極めてまれだが、巨大な変動をもたらす出来事が必ず起きる。グラフだと右端の「ロングテール」といわれる部分がそれにあたる。予想外の黒い白鳥が発見されたことを引き合いに、過去に例がない事象が社会に大きな衝撃を与えることを「ブラックスワン」現象と呼ぶ。べき分布にはこの黒い白鳥が潜む。

 原発事故の発生頻度と被害規模の大きさもべき分布になるとの指摘がある。もしそうなら、従来の安全対策の考え方を大きく見直す必要が出てくる。原発は格納容器をはじめ様々な多重の安全策によって大事故を起こす確率を10万分の1とか、100万分の1とか極めて低く抑える設計思想をとる。しかし100万分の1の頻度で起きる事故の規模が100万倍の大きさだとしたら、発生確率と想定損害額を掛け合わせたリスク(期待値)は決して小さくはならない。

 大学や企業の工学研究者でつくる日本工学アカデミー(小宮山宏会長)が昨年12月に報告書をまとめた。「原発事故はべき分布である」との立場から、従来の安全評価手法を改めるべきだと提言する。事故シナリオを想定し安全系の多重化で事故の発生確率を下げる。世界で原発の安全評価の基本とされてきた従来の考え方では「事故のリスクは計算通りに低くならない」と電力中央研究所の木下幹康氏は指摘。福島の教訓を基に「新しい安全評価の思想を日本が編み出す機会だ」とも言う。「事故がべき分布になるなら、それは多重の防護が個々に独立した防御になっていないからだ」と高安氏も指摘する。一つの防壁を破った現象が雪崩のように第二、第三の防壁も破ってしまう。福島第1ではまさにそうしたことが起きた。

 巨大な自然災害や計画的なテロに対処するには、安全系をただ多重化するにとどまらず、事象の暴走を確実に止める堅固で独立した「防壁」が要る。
想定外のブラックスワンも、いったん起きると「起こるべくして起きた」と感じられる。後知恵で「B5bを徹底していれば」としたり顔で言うつもりはない。今は有効にみえても完璧な策というものはない。必要なのは事故の教訓を真正面から受け止め、原発の設計思想や安全評価のあり方をいま一度再検討することではないだろうか。
                                     (編集委員 滝順一)

        日本経済新聞 2012年1月16日付朝刊掲載、コラム<核心>より。  】



安全神話>だの<原子力村>などと、半ば官の制約の下に在る東電ばかりをバッシングしてなにになろう。そのまえに・・・。

重大な国の不作為の過失。テロも軍事にも気をかけぬお気楽太平楽なわたしたち。斯様に思えてくる。