yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『伝統音楽のすすめ~名人演奏と共に~ 義太夫・胡弓・長唄・常磐津』(CD2枚組)。演劇的な過飾過美の極まった語りの姿、義太夫節。

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三十三間堂棟由来

               


義太夫三十三間堂棟(むなきの)由来 ―平太郎住家の段―

紀州の山奥に柳の大木があった。鷹狩りの時に鷹の紐が柳にからまっ
たので、伐ることになった時、白河院の家臣横曽根平太郎が矢を射っ
て紐を切り、鷹と柳を助けた。その後事情があって平太郎は百姓とな
り老母と妻のお柳、息子の緑丸と暮らしていたが、白河院の御脳の痛
み激しく、院の前世の髑髏(しゃれこうべ)が柳の根にからんでいる
のが原因という、託宣があり、柳を伐つて蓮花王三十三間堂の棟木
にするという院宣が下つた。お柳は実は柳の精であったため苦しみ・
夫や子に別れを告げて姿を消す。伐られた柳が和歌の浦に引かれる途
中動かなくなるが、平太郎親子がかけつけて音頭を取ると、不思議な
ことに動き出し、無事に都へ運ばれて行つた・・・。


わっとばかりに三人は、闇より闇に迷いつつ、互いに手に手を取り交わし、前後不覚に、嘆きしが、涙ながらに平太郎、我が子を膝に抱き上げ、「のう母人、我よりはこの若が、愛着に引かされて、さぞや名残の惜しからん。たとえ姿は見えずとも、柳は妻が亡き悌(おもかげ)、今一度この緑に見せもし、我も見も
したし、蔵人とやらんにも対面せん。母人にはこの髑髏、仏間へ直し下さるべし。それがしは、今すぐに伜を連れて柳のもとへ」、「オオそれそれ、一時も早う孫を連れて」「ハハァ、しからばすぐさま、サァ緑よ来い」と、我が子の手を引き二足三足、深山隠れの山寺に、入相告ぐる鐘の声。数えながらもそろそろと、探る足もと見付ける母、「これ平太郎、そなたは何とぞしやったか」。「これ婆様、とと様は目が見えぬわいのう」。「ヤアヤアそりゃマアいつから」、「ハイさればでござります、一月余り、ふと鳥目が起こりましたが、女房にも言い含め、これまではお隠し申した」。「エエ聞こえぬ平太郎、そういう事なら疾くよりわしにも」、「アアコレ何にもお構いなさるるな。したがお前にもこの坊めも、今夜からさぞ便りが」、「オイノウ折りも折りとてそなたの眼病、なおさらわしも力がない。アア、アレ、アレノ、雪の降る事わいノ、マア灯をともしましょう」と、行燈に手早くともし提燈の、うつし持ったる緑丸、蓑よ笠よと打ち着せて、「そんならちょっと参ってさんじましょ」。「オオ怪我せぬように。ソレ緑よ手を引けよ」。
「あいあいあい」。あい路は見えぬ烏目の父、杖は我が子を力草。
柳が、もとへとたどり行く。(略)

はや東雲(しののめ)の街道筋、木遣り囃子で地車の、轟く音ぞ勇ましや

和歌の浦には名所がござる。一に権現、二に玉津島、三に下り松、四に塩釜よ、ヨーイヨーイヨーイトナ。

俄かに車地にすわり、えいや声して人夫ども、押せども引けども一寸も、先へ行かぬぞ不思議なる。警護の武士進の蔵人、「騒ぐな者ども、思い当たる事こそあれ、急くな急くな」と制するところへ、身ごしらえして平太郎、緑を連れて出で迎い、「さてこそこの木の動かぬは、目前親子恩愛の、別れを惜しむと覚えたり、妻が霊をも諌(いさ)めるため、何とぞ綱をこの伜に、引かさせて給わらば、ありがたからん」と願うにぞ。「ホホさこそさこそ、それがしもさは存ずるところ。さようならばこの柳、新宮の浜先まで、あとは海手を流さん、いざご用意」と勧むれば、「ハハアかたじけなし」と一礼述べ、緑もろとも立ちかかり、木遣り音頭は父が役、かざす扇も萎(しお)れ声無残なるかな幼き者は、母の柳を都へ送る。もとは熊野柳の露に、育て上げたるその緑子が、ヨーイヨーイヨーイトナ。

「コリャおれがかか様か」と、綱引き捨ててわっと泣き、すがり歎けば父親は、涙に声も枯れ柳、引けば引かるる恩愛の、孫よ孫よとタベまで、愛しがったる老母さえ、道の巷に葬らんと、かき抱きたる孝の道。忠義に厚き蔵人が、諌めて帰る都の土産、なぎと柳と契りたる、連理返りや楊枝村、女夫坂とて言
い伝う、棟木の由来因縁を、語り伝えて、おんいちじるき



過日、≪昨日につづき『伝統音楽のすすめ~名人演奏と共に~ 声明・能楽・箏曲・地歌』(CD2枚組)。わたしには異端芸能としか思えない「能」の音の世界。≫とタイトルして投稿し、その「能」の音の世界が、我が日本人にとっても西欧人同様エキゾチックとしか思えないと綴ったのだけれど。とりわけ≪どこに由来があるのかと訝しいいことこのうえない謡の発声(演劇的というにも、まことに不自然な発声)≫とつねひごろ感じていることを記したのだった。それと同じようなことを、きょう投稿の「義太夫」にもつねに印象するのだが。この語り、発声様式は何か?異様以外ではない。演劇的な過飾過美の極まった語りの姿、その様式と思えばいいのかもしれないが、それにしてもこの語り、謡いは度外れに(演劇的に)誇張した言葉の姿と言えようか。


義太夫節の特徴は「歌う」要素を極端に排して、「語り」における叙事性と重厚さを極限まで追求したところにある。太夫と三味線によって作りあげられる間の緊迫、言葉や音づかいに対する意識、一曲のドラマツルギーを「語り」によって立体的に描きあげる構成力、そのいずれをとっても義太夫こそは浄瑠璃におけるひとつの完成形であるというにふさわしい。】(WIKI)とあるのは承知といえ。


観念はほうっておけば過剰を過飾過美を志向する。異様を志向する。あり得ぬことを志向する。歌舞伎、能の衣装をみれば頷けもしよう。そういえばバサラ(婆娑羅)と言う象徴的な観念の傾きがあった。なんでも大袈裟にする。他との違いを見せつけ強調する。そのため≪過剰を過飾過美を志向する≫。神話的表現がそうだ・・・。演芸も。







『伝統音楽のすすめ~名人演奏と共に~ 義太夫・胡弓・長唄常磐津』(CD2枚組)

1. 三十三間堂棟由来~平太郎住家の段~(義太夫
[演奏](三味線)二世野沢喜左衛門
(浄瑠璃)四世竹本越路大夫

2. 菅原伝授手習鑑~寺子屋の段~(義太夫
[演奏](三味線)野沢勝太郎
3. 蝉の曲(胡弓)
[演奏](箏)二代目富山清琴
(胡弓)富山清翁
(歌)富山清翁

4. 助六由縁江戸桜(河東節)
[演奏](三味線)六世山彦河良
(浄瑠璃)山彦節子

5. 鳥辺山(宮薗節)
[演奏](三味線)宮薗千愛
(浄瑠璃)四世宮薗千之

6. 矢の根(長唄・大薩摩)
[演奏](三味線)杵屋栄二
(唄)日吉小三八

7. 明けの鐘(宵は待ち)(長唄・めりやす)
[演奏](三味線)稀音家三郎
(三味線)稀音家和喜之助
(唄)日吉小三八

8. 京鹿子娘道成寺長唄
[演奏](唄)七世芳村伊十郎

9. 越後獅子長唄
[演奏](三味線)杵屋五三助
(三味線)山田抄太郎
(唄)七世芳村伊十郎
(唄)富士田新蔵
(小鼓)望月吉三郎

10. 勧進帳長唄
[演奏](唄)七世芳村伊十郎
(唄)松島庄三郎
(唄)富士田新蔵
11. 吾妻八景(長唄

[演奏](三味線)杵屋五三助
(唄)宮田哲男
(唄)七世芳村伊十郎

12. 老松(常磐津節
[演奏](三味線)常磐津子之助
(三味線)常磐津小欣司
(上調子)常磐津子之助
(浄瑠璃)常磐津一巴太夫
(笛)福原百之助
(囃子)望月左吉
(囃子)望月左武郎
(囃子)望月太意次郎社中
(囃子)望月長佐久
(陰囃子)望月太門
(狂言方)渡辺歌三

13. 乗合船(常磐津節SP盤復元)
[演奏](浄瑠璃)常磐津林中

14. 将門(常磐津節SP盤復元)
[演奏](浄瑠璃)常磐津林中





http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/56233509.html 『パンソリ-韓国の語り物音楽と南道系の器楽』。悠揚の大陸の流れが、その歴史の音色が脈付いていて面白く聴けた。大陸を貫通する民族音楽の蘇生創造をこそ・・・。

Pansori Master - Park Song-Hee