『涅槃講式(表白・初段)』漢文訓読体の「語り」としてのお経読誦。ナルホド語りもの演芸の源流、祖に納得?。
仏涅槃図(部分)
それ法性は動静を絶つ。動静は物に任せたり。如来は生滅
なし。生滅は機に約せり。かの鞞瑟長者、栴檀塔の中に常住
の仏身を見、海雲比丘大海水の上に普眼契経を聞くが如きに
至っては、誰れか歓喜の咲を藍園の誕生に含み、痛惜の涙を
双林の入滅に流さんや。(略)
なし。生滅は機に約せり。かの鞞瑟長者、栴檀塔の中に常住
の仏身を見、海雲比丘大海水の上に普眼契経を聞くが如きに
至っては、誰れか歓喜の咲を藍園の誕生に含み、痛惜の涙を
双林の入滅に流さんや。(略)
第一に入滅の哀傷を顕すといは、凡そ如来一代八十箇年、迦
韋誕生・伽耶成道・鷲峰説法・双林入滅、皆大慈大悲より起り、
悉く善巧方便より出でたり。歓戚の化儀区なりと雖も、みな利
生の縁に非ざること無し。然れども初生之我当度胆三有苦の唱
には、火宅の諸子かつがつ梵焼の苦を息めんぎ。滅度の従今以
後、無再見の告には、苦海の溺子、倍哀恋の涙に漂う。(略)
韋誕生・伽耶成道・鷲峰説法・双林入滅、皆大慈大悲より起り、
悉く善巧方便より出でたり。歓戚の化儀区なりと雖も、みな利
生の縁に非ざること無し。然れども初生之我当度胆三有苦の唱
には、火宅の諸子かつがつ梵焼の苦を息めんぎ。滅度の従今以
後、無再見の告には、苦海の溺子、倍哀恋の涙に漂う。(略)
如来復、諸の大衆に告げて言わく。「我今、遍身疼痛む。涅
槃時到れり」。この語を作し已って、順逆超越して、諸の禅定
に入る。禅定より起ち已って、大衆のために妙法を説く。所謂、
「無明本際、性本解脱乃至我今安住、常寂滅光、名大涅槃」と。
大衆に示し已って、遍身漸く傾き、右脇にして臥す。頭北方
を枕とし、足は南方を指す。面を西方に向へ、後東方を背けり。
即ち第四禅定に入って、大涅槃に帰したまいぬ。
槃時到れり」。この語を作し已って、順逆超越して、諸の禅定
に入る。禅定より起ち已って、大衆のために妙法を説く。所謂、
「無明本際、性本解脱乃至我今安住、常寂滅光、名大涅槃」と。
大衆に示し已って、遍身漸く傾き、右脇にして臥す。頭北方
を枕とし、足は南方を指す。面を西方に向へ、後東方を背けり。
即ち第四禅定に入って、大涅槃に帰したまいぬ。
青蓮の眼閉じて、永慈悲の微咲を止め、丹菓の唇黙して、
終に大梵の哀声を絶ちき。
終に大梵の哀声を絶ちき。
この時に、漏尽の羅漢は、梵行已立の歓喜を忘れ、登地の
菩薩は、諸法無生の観智を捨つ。密迹力士は、金剛杵を捨てて、
天に叫び、大梵天王は、羅網幢を投げて、地に倒る。八十恒
沙の羅刹王は、舌を申べて悶絶し、廿恒沙の師子王は、身を
投げて吠え叫ぶ。鳧鴈鴛鴬の類も、皆悲を懐き、毒蛇悪蝎の
族も、悉く愁を含みき。狻虎猪鹿蹄を交えて、噉害を忘れ、
鋼狼赦犬項を砥って、悲心を訪う。
跋提河の浪の音、別離の歎を催し、娑羅林の風の声も、哀
恋の思を歓む。凡そ大地震動し、大山崩裂す。海水沸涌し、
江河涸竭す。卉木叢林悉く憂悲の声を出し、山河大地皆痛悩
の語を唱う。(略)
菩薩は、諸法無生の観智を捨つ。密迹力士は、金剛杵を捨てて、
天に叫び、大梵天王は、羅網幢を投げて、地に倒る。八十恒
沙の羅刹王は、舌を申べて悶絶し、廿恒沙の師子王は、身を
投げて吠え叫ぶ。鳧鴈鴛鴬の類も、皆悲を懐き、毒蛇悪蝎の
族も、悉く愁を含みき。狻虎猪鹿蹄を交えて、噉害を忘れ、
鋼狼赦犬項を砥って、悲心を訪う。
跋提河の浪の音、別離の歎を催し、娑羅林の風の声も、哀
恋の思を歓む。凡そ大地震動し、大山崩裂す。海水沸涌し、
江河涸竭す。卉木叢林悉く憂悲の声を出し、山河大地皆痛悩
の語を唱う。(略)
良におもんみれば、八苦火宅の中にも、忍び難きは別離の
焔なり。三千の法王去りたまいぬ。熱悩何物をか喩とせんや。
仍って悲涙を拭い、愁歎を収めて、伽陀を唱え、礼拝を行
ずべし。
焔なり。三千の法王去りたまいぬ。熱悩何物をか喩とせんや。
仍って悲涙を拭い、愁歎を収めて、伽陀を唱え、礼拝を行
ずべし。
録音は、真言宗豊山声明の青木融光大僧正(1891~1985)
の演唱による。師は「声明が人格化した希有の人」として芸術選奨文部
大臣賞(古典部門)を受賞。「記録作成する無形文化財」に認定された(共
に1978年)。師の声明は、小泉文夫東京芸術大学教授等によりL
P16枚に録音され、その一部が五線譜に採譜されている(『新義真言声
明集成』)。
以上引用文同梱解説より
の演唱による。師は「声明が人格化した希有の人」として芸術選奨文部
大臣賞(古典部門)を受賞。「記録作成する無形文化財」に認定された(共
に1978年)。師の声明は、小泉文夫東京芸術大学教授等によりL
P16枚に録音され、その一部が五線譜に採譜されている(『新義真言声
明集成』)。
以上引用文同梱解説より
日本の音楽、演芸ものの源流とされているお経、声明(しょうみょう)というんで、昨日にひきつづき、その声明の≪涅槃講式(表白・初段)≫を鑑賞というより聴くとしよう。 (聴くとは、仏、神の声を聴くということだそうで)
ところで、≪講式(こうしき)とは仏典に節をつけた宗教音楽である声明のうち、語りものの部分≫(WIKI)とある。
漢文訓読体の「語り」としてのお経読誦。ナルホド語りもの演芸の祖に納得?。