yuki-midorinomoriの日記

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ナタリー・デッセー驚異のコロラトゥーラ「モーツァルト・コンサート・アリア集」。驚嘆すべき華麗な歌唱・コロラトゥーラとはいえ・・・、結局のところ声質への好みなのでしょうが。

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Natalie Dessay, Mozart: Ah se in ciel benigne stele K.538

              

ああ、情け深い星々よ、もし天に AH SE IN CIEL, BENIGNE STELLE, K.538

Ah se in ciel, benigne stelle,
La pietà non è smarrita,
O toglietemi la vita,
O lasciatemi il mio ben!

Voi, che ardete ognor sì belle
Del mio ben nel dolce aspetto,
Proteggete il puro affetto
Che inspirate a questo sen.



セヴィーノ Sevino

ああ、情け深い星々よ、もし天に
慈悲というものが失われていないなら、
いっそ、私の命を奪うか、
愛する彼女をこのまま私にくれるか、どちらかに。(以下繰り返し)

お前たち、いつもながらにそうして美しく
私の愛する彼女の優しい顔に輝く星よ、
守ってほしい、真の愛を、
お前たちがこの胸に抱かせる真の愛を。



一昨々日投稿した≪モツアルト『ソプラノ・コンサート・アリア集 』。オーケストラをバックに歌われる歌曲は、そのスケールと華やかさ、陰影の豊かさで魅力。≫で取り上げたキリ・テ・カナワ Kiri Te Kanawaのアルバム収録曲と、きょう投稿するナタリー・デッセーNatalie Dessay, 1965 リヨン - )のモーツアルトのコンサート・アリアの収録曲は、ひとつもダブっていない。どうしてなんだろう。

きょうのソプラノは、極めつけのコロラトゥーラで知られたナタリー・デッセー。その驚嘆すべき華麗な歌唱・コロラトゥーラを堪能するということで,そもそもがそれらをもくろんだモーツアルトのコンサート・アリアの中からの選曲ゆえなのだろうか。私にはよく分かりませんが。

それにしても、ここまでくると歌声も楽器だね。そのゆえか,潤いというものが減衰してくるように思うのだけれど。キワモノといえば語弊がある(ファンからは石つぶてが飛んできそう・・・)けれど、その発声技量に感嘆すれども(歌曲への)感銘何処といった感じで・・・。ま、結局のところ声質への好みなのでしょうが。



驚異のコロラトゥーラ「モーツァルト・コンサート・アリア集」
MOZART:AIRS DE CONCERT

1. ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト:アリア“ああ、情け深い星々よ、もし天に”K.538(AH SE IN CIEL, BENIGNE STELLE, K.538)
[指揮]テオドール・グシュルバウアー
[演奏]国立リヨン歌劇場管弦楽団
(VN)ジャン・エストゥルネ
(S)ナタリー・デッセー
2. アリア“ああ、できるならあなた様にお教えしたいものです”K.418(VORREI SPIEGARVI, OH DIO!, K.418)

3. アリア“いえ、いえ、あなた様にはご無理です”K.419(NO, CHE NON SEI CAPACE, K.419)

4. アリア“もし、私の不幸のすべてを”K.83(SE TUTTI I MALI MIEI K.83)

5. アリア“テッサーリアの民よ!私は求めはいたしません、不滅の神々よ”K.316(POPOLI DI TESSAGLIA!...IO NON CHIEDO, ETERNI DEI, K.316)

6. レチタティーヴォとアリア“我がいとしの希望よ!あなたにはどんな苦しみか分かるまい”K.416(MIA SPERANZA ADORATA!...AH, NON SAI QUAL PENA SIA, K.416)

7. レチタティーヴォとロンド“アルカンドロよ、私は告白しよう、どこより訪れるのか私は分からぬ”K.294(ALCANDRO, LO CONFESSO...NON SO DONDE VIENE, K.294)

8. レチタティーヴォとアリア“だが何をしたのだ、運命の星々よ…私は岸辺が近いと期待し”K.368(MA CHE VI FECE, O STELLE...SPERAI VICINO IL LIDO, K.368)




Edita Gruberova, Mozart AH SE IN CIEL, BENIGNE STELLE K.538 Aria