yuki-midorinomoriの日記

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バルトーク『交響詩<コッシュート>、3つの村の風景ほか』。21才の作品、交響詩『コシュートSz.21』 (1903年)はリヒャルト・シュトラウスばりだ。けれどのびやかな若き音楽精神の横溢する開放的作品

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交響詩「コッシュート」

               

バルトークのピアノ作品を直近たて続けに投稿したこともあり、まだ聴いていない(といっても山ほどあるのだけれど)作品は・・・と、ネット検索してチョイスしたのがきょうの『3つの村の風景、管弦楽のための協奏曲ほか』を収録したアルバム。あまりにも有名な傑作の誉れ高い「管弦楽のための協奏曲」ではなく「3つの村の風景」?なにそれというわけだった。

管弦楽のための協奏曲」は5年以上まえ下記綴り投稿していた。


【 バルトークは新大陸アメリカの文化に馴染まないと言っていたそうだけれど、なにやら怪しげとも思えるほどこの『管弦楽のための協奏曲』はスペクタクルを感じさせ、存外バルトークはかの地での生活は快適幸せだったのではと思えないでもない。それほどにこころは晴れやかとでもいった曲風であり、スペクタクルである。まるでアメリカンナイズされたリヒャルト・シュトラウスとでも言いたくもなるような受ける要素に満ちた、完成された曲といえるだろうか。・・・】


ところで、当初の鑑賞のお目当ての「3つの村の風景」は、タイトルから察せられるように、土の匂う民俗音楽の要素を取り込んだ作品。
だけど、民俗=たくましい民衆の生活といった、ステレオタイプなお決まりの図式が、どうも私にはなじめない。なぜそこまで拘らなければならないのか・・・とおもう。

民族(俗)精神って土着以外に表現しようがないのだろうか?

そんなことを吹き飛ばす爽快が、バルトーク21才の作品、交響詩『コシュートSz.21』 (1903年) だった。これはいい。(この「コシュート」とは19世紀ハンガリーの政治家で、1848年革命の指導者として名高い人物のよし)


【 「リヒャルト・シュトラウスの≪ツァラトゥストラはかく語りき≫のブダペスト初演(1902年)は、たちまち私をそれまでの停滞から引き上げてくれた。私は何か新しいものを約束する道が目の前に開けるのを見たのだ。私はシュトラウスのスコアの研究に飛びつき、そして再び作曲を始めた。私が前進するのに決定的な影響を与えた情況がもうひとつあった。当時ハンガリーには愛国精神が沸き立っており、それは芸術の世界でも感じられた。何か特別にハンガリー的なものを音楽においても創造することができるかもしれないという考えが起きたのだ」・・・】(同梱解説より)


たしかにこの曲のオーケストレーションリヒャルト・シュトラウスばりだ。けれど私は大好きだ。のびやかな若き音楽精神の横溢する開放的作品だ。変な囚われ、媚が無い・・・。







バルトーク管弦楽曲全集3』

1. 3つの村の風景
Falun, Village Scenes (3) (Tri dedinské scény), for female chorus & chamber orchestra, Sz. 79, BB 87b
Wedding- Hochzeit- Noces
Lullaby- Wiegenlied- Berceuse
Lad's Dance- Burschentanz- Danse Des Garçons

2. 管弦楽のための協奏曲
Concerto for Orchestra, Sz. 116, BB 127
I. Introduzione
II. Giuoco delle coppie
III. ElegiaIV. Intermezzo interrottoV. Finale

3. 交響詩「コッシュート」
Kossuth, symphonic poem for orchestra, Sz. 21, BB 31




Bela Bartok: Three Village scenes 2/3 (Lullaby)