yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

脱俗仙人隠者、クマガイ・モリカズの『夕暮れ』。

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http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/40944983.html 「こどもの絵か?」と問われた、30年間自宅の門から外へは出なかった隠者、熊谷守一(1880-1977)。

とタイトルして投稿したのは8年近く前、ブログ開設して間もないころだった。

先週の「日曜美術館」で、その熊谷守一(1880-1977)がとりあげられ放映されていた。人気画家?ゆえ、たぶんこれまで幾度も企画制作されて世上に再々紹介されていることだろう。

で、今回不思議な感興をもって印象深かった画が目に留まったのだった。

晩年の、別に奇を衒ったわけでもなかろうが、禅の墨書のようなまるい円を画いただけの何の?へんてつもない作品。とりわけ【夕暮れの太陽になぞらえ”自画像“だと言っていた】という『夕暮れ』(1970)だった。


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(上)は朝、板壁の節穴から差し込んでいた朝の陽を象徴的に描いたとされる『朝のはぢまり』(1969)

(中)は『夕映』(1970)

で、(下)がくだんの『夕暮れ』(1970)。


上二つは三重の同心円。ところが下の『夕暮れ』は二重の同心円。それもモノトーンな色彩で穏やか。それだけ・・・。

そう、それだけが<生>なのだ。それが実相ではないのか。人の<生>への過剰な意味付けなぞ無意味だと・・・。

まさに脱俗仙人隠者、熊谷守一は【「気に入らぬことがいっぱいあっても、それに逆らったり戦ったりはせずに、退き退きして生きてきたのです」】

それでいいではないか・・・。


「わたしってしみったれですから幾つになっても命は惜しいです。命が惜しくなかったら見事だけれど、残念だが惜しい。長く生きていたいです。どういうわけなんですかね。生きていたってたいしたことないでしょう。ここに座ってこうしているだけなんだから。」(1975)


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            「白猫」(1960)

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            「白猫」(1962)

「・・・猫も当たり前のようにいつもいた。ただ、犬は人間に忠実で見るのがつらくて、飼うことはなかった」


【一九二三年(大正十二年)九月一日はあの死者行方不明十五万人を出した関東大震災の日である。日記に「大地震 トンボ ユウクリ 飛んで居る・・・」】(「別冊太陽」より)とある。

「大地震 トンボ ユウクリ 飛んで居る・・・」

人知の及ばぬ自然の驚異を神仏の領域と観じてこそのことばではないのか。無為、為すことかなわぬ有限・中間者たる人間の悲哀、わが<生>を天にアズケタ【それに逆らったり戦ったりはせずに、退き退きして生きてきた】ことば。


無常。

「花も散り世はこともなくひたすらに たゞ赤々と陽は照りてあり」



【・・・見よ、悲哀を超越する解脱の鍵は世の永劫の初めより窃(ひそ)かに悲哀そのものの中に置かれたるにあらずや。

 悲哀はそれ自らが一半の救いなり。・・・神はまず悲哀の姿して我らに来る。悲哀のうち、空ずるべからざる一味の権威(ちから)あり。我らは悲哀を有することにおいて、悲哀そのものを通じて、悲哀以上のあるものを獲(え)来るなり。・・・悲哀はそのもの既に恩寵なり、神人感応の一証果なり。】(綱島梁川「病間録」、『「かなしみの」哲学・竹内整一』より)

自らよびよせた?貧窮のうちに二人の子を亡くしたクマガイモリカズ・・・。

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            「ヤキバノカエリ」(1948-56)


≪【文政11年11月12日(1828年)に、越後三条方面に稀有の大地震があった。死者1400名を出し・倒潰した家屋は9800戸、焼失1200戸に及んだと、手許の『理科年表』に記録されている。良寛は71歳であった。かれは親しい山田杜皐(とこう)からの見舞状に、次のような返書をしたためている。

地しんは信に大変に侯。野僧草庵ハ何事もなく、親るい中、死人もなく、めで度存侯。
うちつけにしなばしなずてながらへてかかるうきめを見るがわびしさ
しかし、災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく侯。是ハこれ災難をのがるる妙法にて侯。かしこ

蝋八(十二月八日)                            良寛

山田杜皐老 与板 】    

良寛・東郷豊治著(東京創元新社)より≫


芭蕉に以下のことばがあった。よく知られたことばだそうですが。

富士川のほとりを行くに、三つばかりなる捨子の哀れげに泣く有り。この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露ばかりの命を待つ間と捨て置きけむ。小萩がもとの秋の風、こよひや散るらん、あすや萎(しお)れんと、袂(たもと)より喰物を投げて通るに

  猿 を 聞 く 人 捨 子 に 秋 の 風 い か に

 いかにぞや、汝(なんじ)、父に悪(にく)まれたるか、母に疎(うと)まれたるか。父は汝を悪むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。ただこれ天にして、汝が性(さが)のつたなきを泣け。

(『野ざらし紀行』)】(『「かなしみの」哲学・竹内整一』より)