サッカー日本代表、初戦コートジボワールに敗れる…。今日はココロしずめ『モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り(晩課) 』
[HD] Monteverdi - Vespers, "Vespro della Beata Vergine" | John Eliot Gardiner, Palace of Versailles.
ということで、きょうはまったくテンション下がりっぱなし。本田選手のみごとな先制ゴールでいっしゅん喜んだものの・・・。球の出所へのプレッシングなど積極性があまり見られなく、初戦の緊張と相手チームへの怖気づいたようなメンタル面での弱気(いつもの悪癖!?度が過ぎたリスペクト…5回連続出場で培ってきた日本サッカーにもっと自信をもて!)が災いしてか、また、入れ込み過ぎもあってか落ち着いたパスワークの良さも見られず・・・、こりゃ今日は負けだなあと思っていたら、案の定その通りになってしまった。
この精神的な弱さをなんとかしてやって!・・・、なでしこ!。マッタク。
ということで、きょうはこの落ち込んだ気分をしずめるためにも、町の図書館で借りていたモンテヴェルディ(Claudio Giovanni Antonio Monteverdi, 1567 - 1643)の『聖母マリアの夕べの祈り(晩課)』を投稿して擱こう。
けれどこのアルバムは、4年ほど前すでに、
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/61197983.html モンテヴェルディ 『聖母マリアの夕べの祈り(晩課)』 。おお~、なんたる絢爛華麗。神の威光ここに極まれりと、尖塔に響きわたる荘厳重厚。
とタイトルして投稿しているのだけれど。
そこでは以下、紡いでいたのだった。
【1610年の作。絢爛華麗もあるけれど、この圧倒的なまでの劇的迫力。このゆるぎのなさ。見事でございますデス。ところでこのモンテヴェルディが活躍していたイタリアはローマに≪ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見(えっけん)≫を賜ったとして知られる天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ)団が訪れているのだ。ときは1582年(天正10年)出航。1590年(天正18年)長崎に帰港とある。かの地に斯くなる絢爛華麗な神の栄光がポリフォニックに天上を響きわたっていたのだろう。その使節の目的の一つには≪日本人にヨーロッパのキリスト教世界を見聞・体験させ、帰国後にその栄光、偉大さを少年達自ら語らせること・・・≫(WIKI)とあったそうだ。まさに<神の栄光、偉大>がここモンテヴェルディの響きにあると言いたくもなる。】
ところが、せんじつ来読んでいた書物(久しぶりに興に乗った読書だった)で知ったのだけれど、この曲が作曲された1610年ごろは、今と同じ超低金利時代(1611~21)が長くつづく過去に例のない<イタリア・ジェノバの超低金利>と称される時代で、それは「利子率革命」と呼ばれ、中世の荘園制・封建制社会が崩れ近代資本制社会・主権国家への一大転換へのとばくちであったとか。
その歴史的超低金利を400年ぶりに更新したのが、現在ただいまという時代なんだそうで。
いつまで続くのかと経済学のシロウトの私たちにも思わせるほどの異常に長い超低金利時代。
これはなんなのだ?。何の予兆か?
それは、現代金融資本(ギャンブル)主義社会、ますますの経済格差を内外に帰結するグローバル市場主義経済世界のドン詰まりの時代だ・・・歴史社会の一大転換の時代なのかもしれない・・・と。
あくまでも、この曲の音楽外!の背景は、斯くあったのだというだけのことなのですが・・・。
『モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り(晩課) 』
Claudio Monteverdi - John Eliot Gardiner – Vespro Della Beata Vergine / Vespers Of The Blessed Virgin / Marien-Vesper
Claudio Monteverdi - John Eliot Gardiner – Vespro Della Beata Vergine / Vespers Of The Blessed Virgin / Marien-Vesper