ハイドン『交響曲全集』。またまた1番から聴く。明るく嫌みのない好感この上ないハイドン。精神衛生上ひじょうにヨロシイ。
どうでしょうか?愉しんでいただけましたでしょうか・・・。このようなコトバが返ってきそうな音楽。ハイドンの交響曲。町の図書館所蔵の交響曲全集を借りてきて、また第1番から聴いている。明るく嫌みのない好感この上ないハイドン。若い頃にはまったく面白くなかったのに、この心境の変化は奈辺にありや・・・。
【 ハイドンをきくたびに思う。なんとすてきな音楽だろう、と。すっきりしていて、むだがない。どこをとってみても生き生きしている。いうことのすべてに、澄明な知性のうらづけが感じられ、しかもちっとも冷たいところがない。うそがない。誇張がない。それでいて、ユーモアがある。ユーモアがあるのは、この音楽が知的で、感情におぼれる危険に陥らずにいるからだが、それと同じくらい、心情のこまやかさがあるからでもある。
ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。
そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴をいっそう大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものを偽らないということとが一つであって、二つにならないからにほかならないのだろう。
こういう人を好きにならずにいられようか? こういう芸術を好きにならずにいられようか?「私は、音楽は、その本質からして、感情であれ態度であれ、心理状態であれ自然現象であれ、何一つ表現することはできないと考えている。表現は、これまで音楽の本質的な特性であったためしはなかった。」
これは、ことわるまでもなく、ストラヴィンスキーの信条告白だが、ハイドンの音楽を思い出してみると、ストラヴィンスキーが力をつくして戦っている当面の相手、「表現」というものが、そんなに恐るべき敵でなかった十八世紀の音楽家ハイドンの立場が、まるでちがったものだったことに気かつく。
ハイドンの音楽も一定の感情とか心理状態とかを「表現したもの」ではなかったろう。しかし、ハイドンとストラヴィンスキーと、この二人の音楽は何とちがっていることだろう!。
ストラヴィンスキーが典型的に代表しているところの、「表現」に対する近代の芸術家たちの過敏な敵意、警戒心は、十九世紀以来流行し、芸術を一方的にゆがめるもとになった「解釈」という行為に、その悪に、むけられているのである。音楽作品が、「月の光」を、「英雄」を、「哲学」を表現していると考え、それをめぐっていろいろ解釈しようとする態度に対し、近代芸術家は敵意を持った。そうして、「芸術作品はそれ自体以外の何を表現しているわけでもない。作品それ自体をみたまえ。それだけをきくがよい。」と主張する。「表現」は、彼らには、タブーとなった。
しかし、ハイドンをきいていると、音楽は別に何といって特定の対象を表現しているわけではないけれども、だからといってこの音楽をきいていて、私たちは、そこに一人の人間のいることを感じないわけにいかないのである。こういう正直で敏感でクリアーな音楽を書いた人間の存在を、モーツァルトともベートーヴェンともちがう人間の現存を、感じないわけにいかない。
といって、私は何も、ここにハイドンという人間が描写されているというわけではない。だが、彼の作品では、情緒過剰はまるでない反面、作者不在という趣も皆無である。別の言葉を使えば、ハイドンの音楽には、ストラヴィンスキーのそれのような抽象的な趣が、少しも感じられないのである。】(吉田秀和)
ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。
そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴をいっそう大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものを偽らないということとが一つであって、二つにならないからにほかならないのだろう。
こういう人を好きにならずにいられようか? こういう芸術を好きにならずにいられようか?「私は、音楽は、その本質からして、感情であれ態度であれ、心理状態であれ自然現象であれ、何一つ表現することはできないと考えている。表現は、これまで音楽の本質的な特性であったためしはなかった。」
これは、ことわるまでもなく、ストラヴィンスキーの信条告白だが、ハイドンの音楽を思い出してみると、ストラヴィンスキーが力をつくして戦っている当面の相手、「表現」というものが、そんなに恐るべき敵でなかった十八世紀の音楽家ハイドンの立場が、まるでちがったものだったことに気かつく。
ハイドンの音楽も一定の感情とか心理状態とかを「表現したもの」ではなかったろう。しかし、ハイドンとストラヴィンスキーと、この二人の音楽は何とちがっていることだろう!。
ストラヴィンスキーが典型的に代表しているところの、「表現」に対する近代の芸術家たちの過敏な敵意、警戒心は、十九世紀以来流行し、芸術を一方的にゆがめるもとになった「解釈」という行為に、その悪に、むけられているのである。音楽作品が、「月の光」を、「英雄」を、「哲学」を表現していると考え、それをめぐっていろいろ解釈しようとする態度に対し、近代芸術家は敵意を持った。そうして、「芸術作品はそれ自体以外の何を表現しているわけでもない。作品それ自体をみたまえ。それだけをきくがよい。」と主張する。「表現」は、彼らには、タブーとなった。
しかし、ハイドンをきいていると、音楽は別に何といって特定の対象を表現しているわけではないけれども、だからといってこの音楽をきいていて、私たちは、そこに一人の人間のいることを感じないわけにいかないのである。こういう正直で敏感でクリアーな音楽を書いた人間の存在を、モーツァルトともベートーヴェンともちがう人間の現存を、感じないわけにいかない。
といって、私は何も、ここにハイドンという人間が描写されているというわけではない。だが、彼の作品では、情緒過剰はまるでない反面、作者不在という趣も皆無である。別の言葉を使えば、ハイドンの音楽には、ストラヴィンスキーのそれのような抽象的な趣が、少しも感じられないのである。】(吉田秀和)
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63080386.html 『ハイドン交響曲全集』VOL.8(CD4枚組)。これでハイドン交響曲鑑賞は一応うち止め。90,91,92,95,97番のピックアップ。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63078763.html きのうにつづき『ハイドン交響曲全集』VOL.9からのピックアップ。傑作揃いだけれどきょうは、あくまで私の好み3曲としておこう。、
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63055906.html 『ハイドン交響曲全集』VOL.6(4枚組)のなかから印象に残った1曲。「交響曲第72番ニ長調」。「さて、愉しんでいただけましたかな・・・」愉しませるお抱え楽長ハイドン。ご大人デスワ。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63048798.html 『ハイドン交響曲全集』VOL.5(CD4枚組)より1曲。副題を<薄馬鹿>にもつ「交響曲第60番」。ドタバタ劇を原作とする劇判音楽のよし。そのせいか、他作品とすこし趣が違っていて興味深く聴ける1曲。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63041928.html きょうもまた『ハイドン交響曲全集』VOL.4より1曲。なんと<帝国>を副題とする「交響曲第53番ニ長調」。躍動感、厳格を感じさせ、前途洋々気分高揚、坂之上の雲といった趣。う~ん、これぞハイドン。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63040057.html 『ハイドン交響曲全集』VOL.4(CD4枚組)より1曲。「交響曲第49番 ヘ短調<受難>」。<受難>、でもなんだか明るい・・・。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63036257.html ハイドン『ハイドン全集VOL.3』(4枚組)より「交響曲第40番」。古典的な形式の美しさ、その優美。<品>性があります。コレだけの理由なんですが。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63016560.html 『ハイドン交響曲全集』VOL.2。ネタ尽きました年の暮れ。何を聴いてもこのハツラツ。湿っぽくない。愉しんで聴ける曲ばかりだ。やせ細り、空疎になるばかりの流行りコトバ聞くよりはココロ落ちつく。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63014631.html ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集、第17~32番』(VOL.2、CD4枚組)。深刻に考えることに疲れたらハイドン。ココロを中和するハイドン。音楽を聴いて愉しんでいただきやしょう・・・といわんばかり。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/62667860.html ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集、第1~16番』(VOL.1)。日の出とともに迎える爽やかな朝。ココロ改むる清澄な恩寵の朝という情趣の「第6番ニ長調<朝>」。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/61513607.html ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集、第45~55番』投稿第3弾。ネガティヴ感情しめやかに流れるマイナー調のワタクシ好みの作品第49番の「受難」ほか。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/61473693.html ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集』。第17番から31番までの巻きを借り受け鑑賞。この健康さ、明るさ、かっちりした古典的形式感、ほんに貴方は幸せものだと言いたくなる。
http://www.youtube.com/watch?v=xzM1YSPpNTg&feature=related ヨーゼフ・ハイドン『交響曲全集』。第90番から98番までの巻きを鑑賞。≪104曲+数曲≫!冗談でしょうと・・・何がそうまでさせたのか。