yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

すべからく物事はズレのもたらす変化で生成多様化する

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1960年後半アメリカを中心に展開された芸術の流れにミニマルアート、ミニマルミュージックがあったのはご承知のことでしょう。<自我><主体>等これら厄介なものを排除して極めてシンプルな素材を用いての創作、芸術活動があった。こうした動きの背後に、あのジョン・ケージの芸術<作品>に対する構え位置取り、常に永久の高みではなく、今ここの意識の無化開放、放下として融通無碍に自己をそこに置く、まさに「このままからそのままへ」(松岡正剛)と言うに相応しい、その様な解き放ちの思想が影響していただろう。勿論時代の現実、大量消費社会の到来、そこに飲み込まれてゆく希薄な生、そうした実質がそれらに大きく対応していたこともだろう。単純な音の繰り返し、それらが作りだす僅かのズレに微妙な変化を聴く。しかしその変化が妙に新鮮な出来事として経験される。大袈裟な音楽、芸術の主張が声高になされている訳ではない。小さいと言えば小さいそれだけの音楽ではある。しかしこうした手法、作風を今になっても持続展開している、そこにこのスティーブ・ライヒが、他の凡百の現代音楽の作曲家との違いであろう。以前、通勤途中の自動車の中で偶然聴いた現代音楽番組で、そのオーケストラによる新作を聴いたが、単にシンプルな音のズレだけではない、奇妙なオーケストレーションの新しい音の世界があった。持続することのすごさを感じたものです。ところで何気なく耳に入ってくる音楽はどうして感動を呼ぶのだろう。同様運転中、車中で偶然聞いた、<イサン・ユン>、<モートンフェルドマン>、それぞれ作品名も分からず感動のまま聴きおわってしまったが、それは兎も角、このスティーブ・ライヒの作品で是非、「おっ、あれ、ほー」というズレが与える音の変化変容の面白さを楽しんでください