yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

叙情に足をすくわれないために拮抗する厳しさ武満徹

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戦後復興期に青年時代を送り、かつ独学ゆえの涙ぐましいまでの数々のエピソードは余りにも有名である。
それらは常人でない強い意思、才能の持ち主ゆえか、又人間性の故か、多くの人との良き交流として夙に知れていることだ。作曲に必需のピアノが無く紙の鍵盤を使っていたところ、それを伝え聞いて知った黛敏郎がピアノを送ったそうである。才能ある人間を目の前にしたとき、良き面では手助けの行動へと駆り立てるのであろう。当時50年代新しい芸術運動が展開されていたグループに武満もその名を連ねている。独学の且つ無名の青年が、そうした集まりに係わり主張してゆくには、あの武満の風貌からは想像しがたいほどの音楽、芸術への熱情があったのだろう。このアルバムの<弦楽のためのレクイエム>は武満の名を一挙に高らしめたといわれているが、それは激するでもなく浮き出ては静かに沈んでゆく心の揺らめきが甘美なまでに淡い色彩で叙情的に奏でられてゆく。旋律の見事なまでの表現性に誰しも感嘆することだろう。だが今となっては57年の作曲という年代ゆえか、のち67年に作曲された<地平線のドーリア>と較べれば響きが単線的の印象が強い。私にはこの<地平線のドーリア>のほうが、まさしく武満の独創がはっきりと確立された作品のように思える。抑制されつつも引き締まった叙情と、戦後ヨーロッパでの現代音楽が作り出した技法音響とが見事に武満トーンとして提示された作品として聴けるのではないだろうか。日本の、ではなく「武満の作品」として演奏される優れた独創の作曲家ではないだろうか。同時代に聴く機会を得られたことの幸せを感じさせる数少ない作曲家のひとりではあるだろう

           http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1033.html