yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

近藤譲のすべからく<人>中心に考える人たちへの音のメッセージ

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            近藤譲「オリエント・オリエンテーション」 Orient Orientation (1973) by KONDO Jo
            http://www.youtube.com/watch?v=roHezxbY4EE

ピアノのおけいことおぼしき、それも初見なのか、ポツリポツリと音を拾い弾いてゆく。そうした音楽以前の音に新鮮な感動をおぼえたことがないだろうか。弾くほうにとっても、また聴くほうにとってもそこにはいわゆる確かな音楽という意味地平が存在しない。音が在るだけだ。勿論拙いながらの無心ともいえる弾奏ゆえの感動なのかもしれない。上手、下手なんぞと言う価値評価、判断以前に、耳にする音の印象は邪魔なものではない。うるさくはないのだ。自然が人を慰撫するさまざまな自然の音のことではない。奏された音、人が介在する音の在りようを言っている。近藤譲いう所の「拒絶の音楽」、作品としての音楽の拒否ではなく、従来の音へのかかわり方の変革を意味しているのであろう。このアルバム<線の音楽>は、シンプルな音の線的つながりがあるだけで、そこには意味の連なりを断ち切るかのようにぽつぽつと演奏される。それらは不思議な感覚を印象することだろう。「声を発し語ることが人の存在の証であるかのように、鳴り響く音を自己の代理と見做し、音楽を普遍化された人の想像的な像とすることを止める。人が音から距離をとることを学べば、音楽は最早畏怖からも、情感からも湧き上がることはない。音楽は表現を棄てて、礼に等しい存在を保つことになるだろう。・・・・この拒絶の音楽は、・・・知にとってのひとつの訓練に他ならない。」「音楽を人間中心主義者の手から切り離す為のものなのだ」と作曲者は記している。思弁的なことこの上ないが、変革の構えとしては面白く、しかし、しんどい事だなと思う。奇妙に不思議な印象をもたらすアルバムだ。