yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アントン・ウエーベルンの研ぎ澄まされた無調の美

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人はしばしば思わぬ終末を迎えるものだ。いや振り返るとそれがそのように意味づけられてそうであったといえるだけなのかもしれない。元ナチ親衛隊の娘婿が闇取引に関与していたのが遠因となり、喫煙のためベランダに出てタバコに火をつけたのが、オーストリア占領軍の米国MPにより闇取引の合図と誤解され射殺された(WIKIPEDIAより)。ありきたりの病死よりその死因が時代性を象徴する不条理な死であることが歴史的な作曲家のその悲劇性をより際立たせる。であればこそ作曲家ウェーベルンの革新性が悲劇性とあいまって語られることとなるのであろうか。無調12音技法による音楽がつねづね、研ぎ澄まされた冷たさ、およそ華美、楽しさ親しみからは縁遠い無味乾燥な味気なく面白くもない音楽と評される。しかしリヒャルトシュトラウス等後期ロマン派と称されている少し前の世代の音楽にしばし感じる空疎な音の豊饒、過剰に辟易するものにとっては、無調にみられる削ぎ落とした凝縮にこそ時代をとりまく精神の現在性を指し示しているように感ぜられる。後期浪漫派にみる退嬰的なまでの空虚華美の甘美さに退屈の極みを感じるのは私だけではないであろう。リアリティのあり処は無調にしかなかった。むろん青筋たて深刻に暗きふちに立つことだけで真実がすべて宿るわけではない。がしかし凝縮された音のきびしいまでの美しさの向こうに、神を殺戮し支えるものを失った挙句にむかえた近代的自我の崩壊、ニヒリズムの影が重くのしかかっているのを感じることだろう。近代のどん詰まり、極北としての音楽家アントン・ウエーベルン。ブーレーズによる全4枚組みの「ウエーベルン全集」たぐい稀なる名盤として聴かれてゆくことだろう。