yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

無調のシュバルツシルト半径脱出図る若きシュトックハウゼン

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            Stockhausen: Sonatine
            http://www.youtube.com/watch?v=8kpsc8qHjxM

            Stockhausen: "Spiel" Mvt. 1
            http://www.youtube.com/watch?v=sTVvuekrzOg


シュトックハウゼン(1928~)『ケルン郊外のメトラート村で生まれる。祖父は百姓、父は学校の教師であった。4歳の時、母親が精神病で入院する。6歳時よりピアノを習う。父は戦争で行方不明。』(WIKIPEDIA)。やはり並じゃない。第二次大戦後華々しく無調世界の旗手の一角として登場その名を音楽史に刻む業績は揺らぐものではなさそうだ。後のオカルティックな傾向の作品作りから、その評価が翻って低く為されているきらいがありはしないだろうか。しかし私にとってのシュトックハウゼンとの出会いは前期のそうした無調が創り出す緊張感あるワイドレンジな力強い響きにあった。そのひびきが持つ個性は追随ゆるさぬ引き締まった音響空間の魅力にあるといえよう。オーケストラ作品が持つ力強いワイドレンジな響きの提示は、やはり才能をもってしてのものとしか私には思えない。こうした音の響きの極限に無調のシュバルツシルト半径《1916年、ドイツの天文学者カール・シュバルツシルトはアインシュタイン重力場方程式の解を求め、非常に小さく重い星があったとすると、その星の中心からのある半径の球面内では曲率が無限大になり、光も脱出できなくなるほど曲がった時空領域が出現することに気付いた。その半径をシュバルトシルト半径 (Schwarzschild radius) または重力半径と呼ぶ。》(WIKIPEDIA)を抜けんと意志したこの若きシュトックハウゼンの情熱のほとばしりをこそ真正に称えるべきであろう。この頃の彼の作品に惹かれる理由は今までの説明に尽きるのだけれど、瓦礫と化した敗戦国ドイツと彼のその生い立の困難を知るにつけ、同じく敗戦焦土と化したわが国の武満徹《1930年に東京都で生まれる。戦争中に聞いたシャンソン『聴かせてよ、愛のことばを』に衝撃を受ける。やがて音楽家になる決意を固め、清瀬保二に師事するが、ほとんど独学であった。無名時代、ピアノを買う金がなく、町を歩いていてピアノの音が聞こえると、そこへ出向いてピアノを弾かせてもらっていたという。(それを知った黛敏郎は武満と面識はなかったにもかかわらず自分のピアノを分け与えた)。》(WIKIPEDIA)のこのような苦難がだぶり、胸に来るものがあるのは親世代の苦難を通して焦土の焼け焦げたにおいを知る団塊の世代ゆえであろうか。昭和30年代中学卒業わずか15才で社会に放り出され金の卵として集団就職列車で親、友人と別れ幼い不安の旅立ちする姿・映像に涙腺ゆるむのは年令が為せるだけではないだろう。敗戦を跨ぐ親世代の苦難を想い、そうしたことが時代の流れを慈しむのだろう。まさに1950年から52年にかけての若く瑞々しいシュトックハウゼンの作品が収録されたこのアルバムに時代の苦難に思いをいたし、すでに泉下にある名も知らぬ幾多の人々のつらく哀しい届かぬ声に鎮魂をささげよう。ジャケット裏面にモノクロセピアの若きシュトックハウゼンが小さく収まっている。


事象の地平面(ブラックホール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E8%B1%A1%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%B9%B3%E9%9D%A2