yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

深いオリジナルの源泉モートン・フェルドマンの静謐な世界

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その影響力に比して語られること少ない作曲家ではないだろうか。別に私の現代音楽に関する知識不足を措いてもそのように感ぜられる。とりわけミニマルミュージック、アンビエントミュージックに与えた影響は少なからずあったのではないかと思われる。このアルバムに収められている「DURATION」(1960~61)に見られる静謐で崇高なまでの音響世界、その音色は、一度聞けばそうした印象を誰しも否定しがたいものであろう。「持続」と訳されているそのタイトルからして<時間>概念が音の背景に漂っていることが推察される。彼が言葉に書き起こしている音楽に関しての考えを目にしたことがないので、作品の音の有りようを聴くことからの推測、了解でしかないのだけれども、少なくとも確かなそうした視点からの検証がモート・ンフェルドマンに関してはぜひとも為されるべき重要さを持った現代音楽作曲家であることは間違いないことと思われる。日本の、オリジナリティ有する稀な作曲家の一人である近藤譲もその作品の響きを聴く限りにおいてはモートン・フェルドマンの影が少なからずあるように思える。もっとも音と<時間>という極めて本質的な問題を、音色、響きの問題から考究すれば自ずとそこに開かれるひとつの世界であるのかもしれないが。ブライアン・イーノほか幾多のイギリスのミニマルコンセプトなどを実践展開している作曲家の多くは、このモートン・フェルドマンに親近性をいだいているようだ。この文を打ち込んでいる間に、ふと気になりネットを覗くと結構フェルドマンに関しての発信記事の多いのに驚くと同時に、かくも多くのCD作品が海外レーベルで出されているのを知り今浦島に改めて驚いた。ゆるせる限りのNHK・FM放送での鑑賞以外することをしなくなった私にとってはいささか悔しさつのることであるけれど、いまさらという気もありフェルドマンの作品との何かの出会いが音連れることを期待することとしよう。それはともかく、そうした評価の一般化は私が聴き入っていた70年前後のフェルドマンの位置が、先ほどのミニマル、アンビエントの潮流の一定の高まりなどにせり上げられての動きの結果なのかもしれない。好きな作曲家のファンにとっては慶賀すべきことではある。『フェルドマン自身は、静かな音は彼が興味を引く唯一のものであると述べた』(WIKPEDIA)そうであるが、まさしく表象的にはそれに尽きる。これからもいろいろな角度から、深いオリジナルの源泉のひとつとしてコンセプチュアルな検討が回帰的に寄せられる音響世界であることは私には間違いのないことと思われる。このジャケットデザインに魅かれ、アメリカMainstreamレーベルの現代音楽シリーズを首を長くして入荷を待った若き日の高揚は懐かしくもある。今のように溢れるばかりの騒々しく圧倒される商品の大量流通に同伴することに疲れる時代にあっては、少々の飢えの中で得られた高揚、満足感は現代にあってはうかがい知ることも難しいことであろう。下記ネットページ面白く読ませていただきました。
homepage1.nifty.com/iberia/score_feldman.htm