yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

モダンダンスの抽象性とゴードン・ムンマのノイズによる抽象的な出会い

イメージ 1

'''上記アルバム[http://artofthestates.org/cgi-bin/composer.pl?comp=79 「MEGATON FOR WM.BURROUGHS」(1963)の公開音源]'''

ノイズミュージックの元祖で、大家なのだそうだ。それはともかくとして彼ゴードン・ムンマGORDON MUMMAもジョン・ケージらと同じく前衛舞踊のマース・カニングハムとのパフォーマンスに随伴し音源提供をしていたということである。フランスの前衛舞踊家もーりす・べじゃーるとミュージックコンクレートのぴえーる・あんりとの濃密な相乗関係、また古くはロシアの、人生後半統合失調症を患い精神病院を盥回しにされるという悲劇的な結末を持ったニジンスキー、ディアギレフらの「バレエ・リュス」とストラビンスキーとの関係があるように、それら音楽と舞踊とのかかわりを知るにつけ、映画音楽はともかく我が日本ではどうなのか、私が知らないだけかもしれないが聞いたことがない。もちろん実績を持つ優れた舞踊家の人々とグループは存在するのだろうけれども、それとは別に私は常に日本人は踊るということの非常に少なく劣っている国民だと思っている。盆踊りなどの農耕儀礼と密接な関係をもつ、集団でのハレとしての踊りなどは、そのなりたち故の根強い広がりはいまだに持ってはいるが、例えばエンターテインメントでのダンスの巧拙、とりわけアメリカのそれと比べてどうだろうか。誰の目にも明らかだろう。アイリーン・キャラによる主題歌「ホワット・ア・フィーリング(What a feeling)」のヒット曲で有名な映画「フラッシュダンス」で、毎日大好きなダンスの練習に汗を流す少女のダンスシーンに清々しさと躍動する胸の高まりを羨望とともに覚えはしなかっただろうか。以前NHKテレビでモダンダンスの変遷を題材とした海外製作番組を見たとき、体の動き、所作の創造になんともいえぬ伸びやかな開放感をおぼえ感動したことがあった。テレビ等で見るブレイクダンスの躍動する伸びやかな動きに惚れ惚れと見入っている自分に気づきはしなかっただろうか。CMにみる、外人ダンサーの日常身にまとう普通の姿で無心にダンスし陶酔している身のこなしに羨望とともに開放感を感じたことがないだろうか。わが国の若人がダンス、肉体の動作、所作に自己の開放を表現することに目覚めつつあることは、歌の表現成熟の次にきっとやってくる文化の一段の成熟を加速することであろう。ダンス・舞踊での肉体表現に自我の開放を投企実践する事はかつてなかったことであり、それゆえに芸術文化だけではなく実生活をも含めての大きな変化・成熟をわが国にもたらすことだろう。それはともかく、先の関係が音楽の革新、創造に果たす役割は殊のほか大であることはいえよう。あえてストーリーがなくても成立する抽象性を懐にいだくモダンダンスと抽象芸術のコンクレート、ノイズが随伴することに何の不具合もない。ここに出会いの必然性と創造の相乗性があったのだろう。このアルバムのB面収録は「MEGATON FOR WM.BURROUGHS」(1963)でシアターピースでもあったライブエレクトロニックパフォーマンスのもと、どのような舞台演出とダンスが新しい世界を開示したのだろうかと想像される。ジョン・ケージと前衛画家ロバート・ラウシェンバーグらのコンセプトのもと50から60年代ミシガン、アン・アーバーを拠点に活動していた頃のさまざまな試みの結実とあり、A面収録作品はアバンギャルドパフォーマンスグループ「ONCE」のシアターピースにライブパフォーマンス用に作品化されたものだそうである。そうした背景を持つエレクトロニック音響作品として耳をそばだて聴くとより想像力を刺激することだろう。