yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

74年ヨーロッパ演奏成功に満を持す山下洋輔初めてのソロアルバム

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採り上げる順序がいい加減であるのは、レコードの整理の悪さと頭の中身の曖昧さにもよるのだろが、それよりも趣くままにという自分勝手な趣旨でのブログのせいでもある。時系列での考究はプロの仕事に預けよう。先のブログで紹介、採り上げた山下洋輔のソロアルバム2枚はトリオのヨーロッパでの成功勝ち得て後の演奏作品で、今回ここに採り上げるソロアルバム「YOSUKE ALONE」は1974年3月東京でのライブ録音のものである。ヨーロッパ演奏での歓呼賞賛の嵐となり、世界の山下洋輔として飛躍する起点となったのは同年6月のことであった。それより約ふた月ほど前ということになる。先のソロ2作品がスタジオ収録のものであるのに対してこのソロアルバムがライブであること、そして初めてのソロアルバムであることを特徴としてあげられるであろう。先の作品にはヨーロッパ演奏の成功で得た確信とスタジオ録音のゆえか、余裕、練られたという印象がするのに対して、このソロはライブゆえか、即興パフォーマンスに壮絶な理性的集中力の持続の凄みを感じさせつつも、やや硬さが聴けもする。しかし当日司会を任された油井正一のみならず誰しもが感じるだろう「ピアノを打楽器のように扱うが、にもかかわらずひとつひとつの音をたいへん大切にしている」という濁りのないピュアーな音のダイナミックな奔流のピアニズムにジャズスピリッツが加わり、ヒトを酔わせる術のオリジナリティには、ただ感嘆するばかりである。独創のヒトには定型があるというのも逆説かもしれないが、確かにそういえると思う。武満徹を聴くと、このような音の次には必ずといっていいほどあのような音から入り始め、更なる新展開をみせているといった、シロウトの私でも感じる流れがある。それがたぶん武満トーンというものの背後にあるものであり、美意識、思想、文体なのであろう。プロの評論家には楽理解析によるそうしたことの考究がどこかでなされていることであろうけれども、悲しいかな私にはそうした素養、教育は皆無である。楽譜というものがなく、テーマとする基本的なフレーズのみによるインプロヴィゼーション展開の山下洋輔ピアノソロにもそれ(文体)があることだろう。きっと美意識に裏付けられた次なる展開を決定付ける一音があるはずである。その一音に理性と感性の、人をひきつける山下洋輔の全開パワープレイの魅力とする音訪いがあるのだろう。A面、B面おのおの2曲づつの比較的長尺のソロ作品集となっている。ジャケット写真として出しているのは裏面であるのを最後にお断りしておきます。汗迸る迫真のこちらのほうが彼にはふさわしい。