yuki-midorinomoriの日記

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大阪梅田・LPコーナーさんへの思い出、ギリシャ作曲家シリーズ

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このギリシャ作曲家シリーズのアルバムを採り上げたのは、クセナキスの作品が収録されているからというわけではなく、若き日の思い出の一齣を綴ろうと思い立ってのことである。大阪梅田・阪急東通商店街に店を構えていた、LPコーナーといえば大阪に在住の、とりわけ北方面のジャズ・ロックなどの音楽好き、レコードマニアの間には名のとおった店であった。ごたぶんにもれず私もどれほど足しげく通ったことだろう。店の新譜コーナーに目指すものを見つけた時の高鳴りは昔も今も変わりはないことであろうが、現在の状況と比べればその入荷数量、点数は少なく、目指す対象を追いかけるという、待つがゆえのつのる、あるしゅ焦がれる恋心のような気分であった。選ぶという行為に未だかすかながらでも余裕があった。現在のように溢れかえるほどの過剰な商品点数、数量を前にし茫洋として意気失せる気分に落ち込むことは余りなかっただろう。本屋以外足を運ぶことがほとんどなくなってしまったが、その本屋にしてからが、ご存知のようにまるで物流倉庫がそのまま店舗になったような圧倒的な品揃えを誇っている。それにつけそれらを前にした時のあの圧倒される眩暈もよおす意気萎える気分は大方の方が感じられているのではないだろうか。いい加減にしてくれと叫びたくなるほどである。幸か不幸か大型店舗が出現する前に音盤蒐集から遠ざかってしまったが、状況は本屋と同じようなものだろうと推察する。高度経済成長へまっしぐらという70年代であっても今ほどあらゆる商品が溢れかえっていたわけではなく、小規模店も生業としてシャッターを開け続けることの出来た時代であった。生業としての小商いが十二分に成り立っていたよき時代であった。べつにLPコーナーが小規模であったということではない。その道では専業として盛名、盛大であったのだから商いは立派なものであっただろう。わけの分からぬ、内容の判然とせぬ商品をこまめに試聴させていただいたものであった。このブログで採り上げているドイツFMP、イギリスINCUS、オランダICP、そのほか所有するフリージャズの殆んどをこのLPコーナーで世話になった。そうしたジャンルを購入する変わった客であったのだろう、社長さんが「もしよかったら、こんなのがあるけど聴きはる?」とタダで戴いたのがこのレコードであった。多くの音盤、音楽との出会いを作ってくれたそのLPコーナーが、店を畳んだと知ったのは音盤蒐集から長らく遠ざかっていたせいもあってつい最近であった。それもこのブログ記事を作成するために検索サイトを覗いていて知ったのであった。畳むに至った経緯の詮索はやめておこう。唯、歳月というのもよい事の思い出を作るばかりではなく、酷さも味あわしてくれるものだ。さてこのつらい思い出になってしまったアルバムの収録曲は、クセナキスの作曲過程にコンピュータの計算処理を介在させて作曲された、10の楽器のための「ST―10」(1956-62)。これは彼の特徴とするトーンクラスターの世界ではなく、どちらかといえば点描的ななかにも単線的にグリッサンドする音の頻繁な出現がありはするもののシンプルであり、同時期世界に衝撃を与えたトーンクラスターの圧倒的な作品世界とは作曲の背後にあるコンセプトが違っている所為かはなはだ趣が異なっている。ここでもやはりクセナキスは月並みな世界ではない。B面はニコス・ママンガキスNIKOS MAMANGAKISの「ANTINOMIES」(1968)土俗的なエネルギーを持ったダイナミックな音色の作品で、線の太さと厚みを感じさせる良い作品である。ここに聴く民族的感性に何かしら東洋的なものを感じるのも何か不思議な感じがする。ギリシャの民俗感性に以前からそれは感じてはいたことなのだけれども。ともあれ我が若き日々の音楽愉楽の様々な出会いをつくってくれたLPコーナーさんを振り返りつつの一枚であった。