yuki-midorinomoriの日記

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創造的直感有する天与の音楽家ルチアーノ・ベリオの甘美な抒情

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私のような音楽の素養もなくたんに好きで鑑賞しているだけの音楽ファンにとって見ても、このルチアーノ・ベリオLUCIANO BERIO(1925)のアルバム、A面1曲目の「ノウンズ・NONES」が1954年の作品であることに驚く。このように音色豊かに抒情をたたえた音列作法による美しい作品があり得たことに、いや作曲されたことに、その才能ゆえなのかと感嘆のほかない。1951年ミラノ音楽院を卒業したベリオは奨学金を得てアメリカに渡りダラピッコラに12音技法を習ったということである。師がダラピッコラであることは、やはり彼の音楽の資質がそうさせたとも思える。
『豊かな音楽的感触と繊細な抒情』を持つ彼にとって、音楽とは『<音>の抽象的・体系的なシステムをこえた、あくまで人間の本能に根ざしたメッセージ』(船山隆)であり、創造的直感有する天与の音楽家ということなのであろう。またそこ留学先で、後多くの彼の声楽作品を発表することになる、妻となる女性歌手キャシー・バベリアンと出会うことともなる。
さて2曲目の「アレルヤⅡ・ALLELUJAHⅡ」の曲も1958年作とある。この曲のほうがどちらかといえば全的なセリーの表現様相が前面に押し出された作品といえるだろうか。しかし柔らかさと美しさを保持したセリー世界を創り上げるその感性は、彼が没するまで長きに亘り音楽史に残る作品を発表しつづけ注目されてきたことの背景にある天賦の才のものであったのだろう。よくイタリア人の<カンタービレの心>が彼の甘美な抒情性を語るときに言寄せされ、使われるが正にそうであろう。誰に言わしてもルチアーノ・ベリオも20世紀央以後の音楽史を飾る一人であることは否定できないであろう。
ところでこの「アレルヤⅡ」が作曲された1958年頃というのは『ベリオ、シュトックハウゼンブーレーズらの<1920年代の世代>は、12音技法からミュージックセリエルへと突き進み,1950年代半ばからは、軌を一にして<空間音楽>の問題にとりくむことになった。そして1958年には3つの<空間音楽>が発表される。・・・
シュトックハウゼンの《グルッペン》が、58年3月24日ケルンで初演され、つづいてベリオの5群の楽器群のための《アレルヤ第2番》が、58年5月17日ローマで初演され、さらにブーレーズの3群のオーケストラとテープのための《ポエジー・プール・プーヴォアール》が、58年10月19日ドナウエッシンゲンで初演されている。これら3つの作品は,いうまでもなく、いずれもいくつかのオーケストラ群をホールの内部に分離して配置した作品である。』(船山隆)
こうしたコンセプトの作品がほとんど同時期に発表された賑々しい歴史の時であったそうである。沸々と煮え胎動する新音楽生成の時でもあったのだろう。さて3曲目の「2台のピアノのための協奏曲」は1973年と、はやベリオが50才台に入ろうとする成熟の時期の作品である。ここには『12音音楽、セリー・アンテグラルの音楽、偶然性の音楽、クラスターの音楽など、20世紀後半のさまざまな意匠が、ベリオの音楽的個性によってみごとに統一されている』(船山隆)。
こうした評のとおり、歴史が創り上げたさまざまな技法を、抒情湛えたベリオの煌めくばかりの感性にまとめ上げられ、創りだされた豊穣な音色世界がよりスケールを増して提示される。しかしこの年代の隔たりをものともしない3作品のすばらしさは、それぞれそのときどきがピークである天与の才のしからしむるところなのであろうか。