yuki-midorinomoriの日記

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電子、電気音響開発素材の穏当なコンポジション、フランソワ・ベイルの 『Grande Polyphonie』

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このフランソワ・ベイルFRANCOIS BAYLE(1932)の『Grande Polyphonie』(1974)のアルバム収録曲のサウンドの数々は音響開発の成果と言うこともあるのだろう。さしずめ日本で言うNHKの放送用の音響開発等を担っている電子音楽スタジオのようなものだろうか、≪ラジオ・フランス内にINAという組織が持つGRMというコンピュータ音楽研究施設があり、これをINA-GRM(イナグラム)と呼んでいる≫(WIKIPEDIA)その<Groupe de Recherches Musicales de Paris>いわゆるGRMの初代所長シェフェールの後継所長として66年より要職に就き、その分野で貢献しているとの由。アルバム見開きにある写真には音響開発素材として使われたさまざまな民族楽器や、グラスやスティック、円球等の生活道具類が写されている。それらアコースティックな音の電子変調で開発した音響がA面では採録され、それらを使ってのB面『Grande Polyphonie』では17分に亘る、コンクレートミュージックとなっている。当然ながら、リュック・フェラーリの淡々と流れる具体音の中での、僅かしらの巧みなまでの変調処理に異和の経験世界を提示するミュージックコンクレートとも、また付帯音楽、ライヴパフォーマンスが多いピエールアンリにみる、素材の要素への解体と組み立てに見る遊び(テクノサウンドの祖父とも評されているらしい)と物語性、新しい音響世界を切り開いてみせる才走った(未来派)感性の煌めきともちがった、理性と感性のあわいに穏やかさをもって、先の開発された音響等とテープ具体音と純然たる発生電子音の変調によるコンポジット作品となっている。これもベイルが研究施設の要職にあり、かつそこでの成果の集成ということもあってか、奇抜、奇異なところは比較的少なく、組み立ての巧みさで楽しませるということにもなっている。さてここで60年央以降にみる電子音楽の隆盛を、音楽と科学技術との絡みで時代史的に背景をふりかえってみるのも意味のあることだと思われる。以下は、現代前衛音楽普及におおいに力あずかった評論家、故秋山邦晴のオブジェマガジン『遊』<1005>(1979)にて<電気・電子音響音楽史>を語った文章からの抜粋である。

≪電気で音を出したいという発想は、結局のところ「知覚の拡張」.と「音の無限分割」に対する人間の憧憬にもとづいているのでしょうね≫

≪音というのは不思議なほどに認識と深く結びついているのですよ。とくに現代音楽と.知的頭脳の構造的変化との関係は緊密です。現代音楽は認識の音楽でもある。………演奏が認識作業であり知覚の自由な拡張である………音こそが肉体の限界を超えるためにあると考えるべきではないでしょうか。「われわれの新しい電気的テクノロジーはわれわれの中枢神経組織の拡張である。」(マクルーハン)≫

電子音楽の誕生において、≪原始古代では調律されていない騒音や雑音が主体であった音楽は次第に平均律の構造にむかい、近代においてすっかり騒音を駆除し終わったところへ、再び騒音の復権が持ち出されてきたという結構をみることができる。「騒音から楽音へ」という古代から近代への流れは、1950年前後のミュージックコンクレートと電子音楽によって大軌道転回を迎え、再び「楽音から騒音へ」の正念場を経験させられるわけです。≫

≪このミュージックコンクレートと電子音楽の誕生に関しては、1930年代をピークとして足踏みをしはじめた量子力学の歩みが一歩において語られるべきかもしれない。J・Jトムソンによって発見され、ヘルマンワイルによって「自然の新しい主語だ」とまで言われた電子(エレクトロン)が、いっさいの量子力学的思索を終了した1940年代から徐々に現代音楽の底辺に滲み出し、50年代になって遂にテープ上に定着された――とも俯瞰することができるわけです。≫

シュトックハウゼン電子音楽の最大の発見はリズムと音高と音色が物理学的に同一のものであったということにある、と言いますが、この言葉にはハイゼンベルクらの量子力学がもたらした「物理学的統一像」のイメージがあきらかに音の世界像とアイデンティファイされている事情を窺うことさえできそうです。実際にもセリー・アンテグラルの『音価と強弱のモード』(オリヴィエ・メシアン1947)や、シュトックハウゼンのこの時期の多くの曲にみられるようにここにおいてはじめて音はひとつのフィジカルなスペクトルとしてとらえられた。音をスペクトルとして設定すると、たとえば単純に言って、スペクトルの最低周波数が音の音高となり、同じスペクトルの高次な部分音が音色となり、またこの音をそのまま低い音域に移し変えてやれば、音色を表現していた部分音は周波数に応じて音高を表現しはじめるに至る――といったことになる。もっと低周波に移してやれば、単純な周期的なパルスにもなるわけですね。このような考え方をセリー・アンテグラルと言いますが、それは、音を時間函数の内にとらえうるきわめて量子力学的な発想だったとも言えるわけです。ここに音は新しい「組織思考」をもつに至った。≫

≪こうして日常のなかの音、一滴の小さな水音、物体にひそむ音、生理にからむ音、その他多くの音が電気的に増幅することが出来るようになると、鋭い音楽家たちの思考はその作曲方法をあらゆる分野に求めるに至ります。数学はむろんのこと、生物学や物理学、あるいは中国の易の方法やロールシャッハ・テスト、さらには地下鉄路線図からランダムパターンや落書きにいたるまでもが、音づくりの原形やマニエラとして活用され、ここにジョン・ケージのいうところの「チャンス・オペレーションによる作曲」の時代が到来したわけです。≫

≪偶然的なるものへの着目、あいまいさや不確定な音への挑戦が生まれた背景には、当然ハイゼンベルク不確定性原理などがもたらした量子力学上の成果が預かっているし………これを文学あるいは美術上の概念で言えば、シュルレアリスムの音楽への適用ということになるかもしれない。≫

≪いずれにしてもこのような手法が次々と開花できるのは、音がテープ録音でき、またそのテープをいかようにも編集できるようになったからなのです。そういう意味ではミュージックコンクレートと電子音楽にはじまった現代の電気電子音響音楽は「テープミュージックの時代」と言ってもよいわけです。≫




François Bayle - Jeîta pt.1