yuki-midorinomoriの日記

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<スサブ>ブロッツマンの誕生前夜 (1967) 『For Adolphe Sax』 (FMP 008)

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brotzmann (trio 1964) From The Inexplicable Flyswatter

        

ネットを覗いていて、剛性のベーシスト、ペーター・コヴァルトPETER KOWALDがすでに2002年58歳にて亡くなっているのを知った。80年央よりこのかた音盤から遠ざかっており、ネットを利用するようになったのもつい半年前ということもあり、まったくもって浦島である。このコヴァルトをベーシストに据えたペーター・ブロッツマンPETER BROTZMANN(1941)トリオの、自らがプロデュースしたアルバムが彼のデビュー盤だろうと、その確認のためにネットを覗いていてコヴァルトの逝去の事実を目にしたという次第である。ブロッツマンのディスクグラフィでは、まず「For Adolphe Sax」(1967)から始まり、「Machine Gun」(1968)、「Nipples」(1969)、「Balls」(1970)という順序になっている。まさに絶頂の輝かしい作品群である。3作はすでにこのブログで取り上げた。今回取り上げるFMP 008として出されたアルバムは、デビュー盤「For Adolphe Sax」と同名の曲名がA面に収録されており、録音データも67年となっていることから多分FMPレーベルにラインアップされての再発ものなのだろう。ジャケットデザインはブロッツマン本人でなおかつ、ひげ面のいかついエネルギッシュな風貌からは程遠い若々しいポートレイトが使用されていることから、ジャケットデザインが新装なのかどうかはわからない。ところでこのアルバート・アイラーといった風情を引きずった、デビューアルバムのFMP 008に聴けるブロッツマンのサックスは、先の3アルバムと比較して聊か控えめな感じがする。ユニットの為せるところなのか、それとも彼のスタイルが形成される<吹っ切れ>を促す何らかの機会をその後得たのか詳らかではないけれども、これ以後のアルバムに顕著に聴かれることとなる≪剛直なすさび≫の徹底性がまだしもといった印象である。それはドラムのスヴェン・エイク・ヨハンソンSven Ake Johanssonの感性が比較的オーソドックスな<知>的にスマートなパフォーマンスの域にある所為なのかと私には思われる。のちのユニットにはパーカッションに<数寄>のハンベニンクが加わっていることをみると、あながちユニットが要因であるとの推測は的外れでもないようにも思える。ちなみに「Machine Gun」(1968)ではハン・ベニンクとエヴァン・パーカー、ヴァン・ホーヴ(p)の顔が見え、「Nipples」(1969)にはデレク・ベイリーが参加、「Balls」(1970)には、ハン・ベニンクとホーヴのトリオとなっている。ここから察するにやはりキーマンはパーカッションのハン・ベニンクであり、彼の<スサブ><数寄>が大いにブロッツマンを炊きつけアメリカンフリージャズの名残の解体を加速さしたといえるのではと、このデビュー盤(1967)「For Adolphe Sax」(FMP 008)を聴いて感じたことである。とはいうものの十二分にエモーショナルに満ちたブロッツマンのサックスを堪能することのできるパフォーマンスではある。