yuki-midorinomoriの日記

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記念碑的ドキュメント 『オーケストラル・スペース1966 VOLⅠ』

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今回取り上げるアルバムは武満徹(1930)、一柳慧(1933)の企画構成による音楽祭・オーケストラル・スペース1966の記録であり、3日間のプログラムのうちからピックアップされてVolume1と銘打たれたアルバム。収録4作品のなかで、とりわけサウンドの実験性際立つのが、アメリカ留学でジョンケージとともに音楽活動を展開していた一柳慧の『ライフ・ミュージック(オーケストラと多種の変調器、磁気テープのための)』(1966)である。マグネティックテープとオーケストラの同時演奏の作品。オーケストラの各楽器にコンタクトマイクが装着され、それがスピーカーから流されることによって思いもかけぬ音が拡大され響きわたる。さらに多くの変調器などを使って電子変容、フィードバックされる。それらの際立ってエネルギッシュなエッジが立つノイズサウンドの新鮮さに驚かされることだろう。ランダムなタイムスケジュールによってステージ照明が明滅され、演奏の中断という偶然性の導入をも図るという実験的試みの作品でもある。意図を超えた制御不可、不確定な響きのパフォーマンスといったところである。ここにはケージの提示した革新のコンセプトが一柳慧によって想像(=創造)豊かに実践されており、そこにはコンセプトの重層的導入による音響空間の≪充実したひとつの精神の状況≫(秋山邦晴)の創造が目指されている。ノイズに感興ある人には是非とも一聴されることを薦めたい一曲である。ところでもう一つの武満の作品『孤』(1963-66)をこのアルバムで聴き返してみて、ここには優れて特徴的な「弦楽のためのレクイエム」に聴く、厳しいまで幽玄な叙情性をもつ武満トーンが幾分か後退し、より先鋭的に流動錯綜する音響空間の提示を特徴としている。私は前ブログでも記したように、ここに聴けるような先鋭的で果敢な武満徹のほうが好みである。ところでこの作品『孤』は≪1965年度「国際現代作曲家会議」最優秀賞を受賞したオーケストラのための<テクスチュアズ>(1964)と一連の関係を持ったオーケストラ作品。つまり三曲が組み合わされて一曲となる厖大な管弦楽作品の第一部に当たる≫(秋山邦晴)そうである。シュトックハウゼンブーレーズなどと同様、空間音楽の試みがここでもなされており、ステージ中央に独奏ピアノ、そのまわりに各楽器群を四つにグループ分け、指揮者のタイム、ピアニストの、他の演奏者へ繰り出すタイム、オーケストラ全体のタイムとそれら時間の重層が創り出す≪混沌とした音の生きた状態を集積してゆく≫。そうした≪音響イメージの発生状態をその根源にまでつきとめようとする≫武満徹の姿勢は、粛然として音の前に佇む透徹そのものと言ってよいだろう。エンディングに聴くオーケストラなりやむ静寂のうち、かすかに浮かび消えてゆく幽そけくも美しい武満トーンの旋律はやはり胸をうつ。クセナキスが考案したコンピュータプログラムによる計算処理、音群の集合論操作を五線楽譜上に記譜して作曲された高橋悠治(1938)の『クロマモルフ・Ⅱ』(1964)。ここには人知を超えた事態と相同の音の離散集合の聴きなれない不思議な世界を私たちは聴くだろう。最後に湯浅譲二(1929)の『相即相入』(1963)。2つのフルートのためのもので、彼の生い立ちから来る<能>の深く静かに充溢する時空世界、玄妙な風情漂わす能(管)笛と尺八とも聴こえる音色に聴く≪気韻生動≫はりつめた美は、やはりこの作曲家の世界なのだろう。こうしたおのおの優れた日本の(1966年)若き作曲家の作品を小沢征爾若杉弘指揮、読響のもとに演奏された記念碑的ドキュメントのアルバムと言えよう。