yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

ロジャー・ウッドワードによる武満徹のピアノ作品集 『武満徹の音楽』 (1974)

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ピアノに象徴される武満徹の貧苦にまつわるエピソードは尽きない。ピアノのある家に出向いて弾かしてもらったとか、黛敏郎を通じてピアノを貸し与えてもらったとか、あげくは紙に描いた鍵盤を持ち歩き作曲していたというはなしもある。デビュー作もピアノ作品であり、いまなお彼の苦いスタートとして語り継がれている、評論家山根銀二による<音楽以前である>との酷評に涙したとは夙に知られたことである。こうして皮肉なことに、この評論家は武満と共に音楽史にその名を刻むこととなったわけだ。別にこの評論家だけではなく『弦楽のためのレクイエム』への、ストラビンスキーの≪強靭な想像力に驚き、傑作だ≫との賛辞により武満徹への評価がにわかに高まっていったことなどには、おしなべて≪音を「聴く」ことをしないで、音を構成するその形ばかりを追っていた時代の批評家の貧しい体験が、そのまま傲慢なことばとして記録されたことにほかならないのだ。≫(秋山邦晴「日本の作曲家たち・下」<1979>音楽の友社)といえるだろう。≪武満徹はつぎのように書いている。「音はつねに新しい個別の実体としてある。なにものにもとらわれない耳で聴くことからはじめよう。やがて音は激しい変貌をみせはじめる。その時、それを正確に聴く(認識する)ことが聴覚的想像力なのである」そして「音のひとつひとつに、生物の細胞のような美しい形態と秩序があり、音は、時間の眺望の中で、絶え間ない変質をつづけている」≫このような彼の音世界の原基としての聴覚的<想像力>の運動とは≪不在そのものへのあくなき追求≫であり、それはすなわち≪「いま、われわれが感じているのは、イマージュ、根源的(イマジネール)なるもの、想像力(イマジナシオン)がただ内的幻覚への生来の嗜好だけでなく、非現実的なものの独自の現実への接近を示すということである。」(モーリス・ブランショ・終わりなき対話)≫。≪武満徹の独自な聴覚的想像力の世界は、つねにそうした不在のもの、未知のものへのあくなき追求であり、「聴く」ことの可能性への行動だろう≫。武満徹の聴覚的想像力が開示する音楽とは、≪音楽のなかでの音のイメージとは固定的、固体的なものではない、生成しつづけ、体験されるあるひとつの動的な状態にほかならない。人はそのなかに入って、その瞬間を生きる。その変化する現在のなかを生きるのである。≫このように現在の<生>のうちに開けひろげられるものである。戦後日本の新しい音楽・芸術創造に共に歩んできた秋山邦晴の、もうこれ以上の言葉がないほどの武満徹小論の締めくくりをここに抜粋しよう≪彼の音楽は個人の「作品」を完結させるというエゴイズムを超えて存在する。武満徹は音楽を「聴く」行動として意識化した最初の現代の作曲家のひとりといっても、けっして過言ではないように.思える。かれはつねに「音」を「聴く」ことを止めない。かれはよく曲の指示記号のように「遠くに消えるように」と書く。それは音を自然のなかに還元してやることではない。音がうまれ、消えてゆくそのふしぎな動的な状態のなかに入りこみ、それを「聴く」。そのとき、ひとは持続する瞬間、充実した現在のなかに生きる。沈黙は無ではなく音の裏側である。だから武満徹は消えていく音を聴きつづけようとする。音の縁が確実に見えはじめる瞬間まで……。≫けっして言葉がすべっているだけの情緒的批評ではない。私たちもこのように武満徹の音楽を「聴」き、そしてまごうことなく感動をもって生きる充実を得ているだろうから。さてこのオーストラリア生まれでおもにイギリスで活動する、その非凡な感性とテクニックゆえに「アヴァンギャルド界の聖なるモンスター」と評されてもいるロジャー・ウッドワードROGER WOODWARD(1942)による武満徹のピアノ作品集『武満徹の音楽』(1974)。弦楽・オーケストラ作品があまりにも強烈なゆえに武満徹ピアノ曲が位置するところを測りかねるが、酷評うけたピアノ曲「2つのレント」(1950)がデビュー作であり、そこにはのち武満トーンとしていわれる、哀しさをもひめた透徹した叙情の世界生誕を聴けるという意味でも重要な作品群ではあるのだろう。時おなじくして作曲された「遮られない休息」(1950-59)がここでは収録されている。武満徹秋山邦晴らも参集した<実験工房>の主宰者でもあり、わが国の詩人・シュルレアリストであり現代芸術の推進にもあずかった滝口修造の同名の詩にもとづいて作られたものである。


跡絶(とだ)えない翅(はね)の
幼い蛾は夜の巨大な瓶の重さに堪えている
かりそめの白い胸像は雪の記憶に凍えている
風たちは痩せた小枝にとまって貧しい光に慣れている
すべて
ことりともしない丘の上の球形の鏡


透明で緊迫、いまにも壊れそうな張り詰めた繊細さのこのシンボリックな詩的世界そのものとしてこのピアノ曲を聴くことだろう。またつぎの初期代表曲「ピアノ・ディスタンス」でも同様、透明で緊迫の流れるような叙情の<生>の動きを聴くだろう。引き締まった、いち音の一撃に精神は屹立する。だが秋山邦晴はプロとして重要な点を指摘する。それまでのドビュッシーの影響やメシアンのモード(旋法)の影響を脱し独自のモードを打ち出したということである。つまりは≪ひとつひとつの音が生き生きとした動的な状態をうみだす場。その瞬間をかたちづくるための方法論として、・・・モーダルな世界、旋法の組織を意識的に追求≫する姿勢を鮮明にしたということだそうである。それはのち「地平線のドーリア」(1966)に顕著に見られる≪旋律ではなく、多くの個々の音の生きた動きが集まってかたちづくられるハーモニック・ピッチという考え方、リズムという代わりにプルセーション(脈拍、鼓動)という考え方をとっているのだ。それは機械的な構成から音を開放し、音を呼吸させる方法なのである。≫すなわち音に動的生命を与える方法の提示ということなのだろう。さて、ロジャー・ウッドワードに献呈された「フォー・アウェイFor Away」(1973)は武満いうところ≪たんに人間のものではない大きな生命圏への賛美であり、捧げもの≫だそうである。もうこの年代時にはいると武満のゆるぎなさが聴けることになる。豊麗な色彩に彩られた音色と余韻、流麗極まる叙情、引き締まった空間形成力を見せるいち音いち音への命こめられた打ち込みに<能>世界を感じさせもする。さて最後にA面すべてを占める「コロナ」(1962)〔ロンドン版・1973〕。これは≪ピアノ2台とオルガンそしてハープシコードがウッドワードによって演奏されマルチプルにレコーディング≫されたもの。スコアーは、デザイナー杉浦康平とともに制作された美しい図形楽譜であり≪赤色、青、黄、灰色、白の五枚の色彩の正方形の紙片に円形、点、直線などで記譜されている。奏者は同心円の中心の切込みを合わせて演奏する。しかも各紙片には、赤(抑揚のスタディ)、黄(アーティキュレーションスタディ)、灰色(エクスプレッションのスタディ)などといった、それぞれの特色が指示されており、作曲者は「この曲を演奏するピアニストは、特に色と形にセンシティヴであってほしい」と記≫されているそうである。ここにも図形楽譜という不確定性の導入であっても、≪生き生きとした音の状態≫をうみだす想いはそれら指示のなかに貫かれている。ウッドワードの特殊奏法を的確につかってのコスミックな余情の世界、広がりと余韻のうちに音の行く末をじっくりと見定める精神性あふれるパフォーマンスは、これはこれで優れてセンシティヴに見事な作品として聴かせる。完全にといってもいいくらいにロジャー・ウッドワードの世界であり、それゆえに〔ロンドン版・1973〕ということなのだろう。