yuki-midorinomoriの日記

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電子音を慈しむ、すばらしいベルナルド・パルメジアーニ(1927)の 『DE NATURA SONORUM』 (1975)

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戦後間もない1948年フランス国営放送の電子音楽スタジオの一部門(フランス国立視聴覚研究所・音楽研究グループ)として発足したINA・GRM。初代所長はピエール・シェフェールでありフランスのみならず他国からも多くの作曲家を受け入れ、ミュージック・コンクレート・電子音楽研究・創作の重要な拠点となった。リュック・フェラーリピエール・アンリがそこを足場に研鑽、音楽史に残る作品を残していることは知られている。ピエール・シェフェールは音楽家ではなくエンジニアであったように、このアルバム『DE NATURA SONORUM』(1975)のベルナルド・パルメジアーニBERNARD PARMEGIANI(1927)も同様エンジニアとしてのスタートのように思われる。アルバム見開きの略歴にも音学歴らしきものはなく、ただ1959年よりGRMで作曲に携わるとの文字しか見当たらない。しかし電子音の音への聴きこみの確かさ、深さがベースとなっているせいかひじょうに良くできている印象である。ところで前後するがこのころGRMで、ピエール・アンリリュック・フェラーリ、イヴォ・マレク、マーシュ、パルメジアーニ、フランソワ・ベイルらの面々が集って研鑽していたのは壮観でもある。ところで彼以外ほとんどが音楽の専門課程を履修してのちの電子音楽への投企であるのにたいし、パルメジアーニは先にもあったように音響エンジニアとしてそのキャリアをスタートとしている。ここでシェフェールとアンリの、初期に聴かれる共同作業の中での音作りの違い、つまり音響それ自体へとめがけて加工変容にかかわるシェフェールと、ピエール・アンリにあってはむしろそののちの音響が解き放つイメージへの音楽的なかかわり方の違いが彼にもあるように思われる。音楽的センスと直観のうちに電子音・ノイズを取り込むアンリなどに対して、エンジニアとしてのセンスは、電子音それ自体に自己を化してしまうような一種ナルシチズム、電子音それ自体を慈しむような性向が共通してみうけられる。先のブログで取り上げたドイツのコンピュータ音響作曲家のローランド・カインにも同様なことが言えるのではないだろうか。彼もどちらかといえばエンジニアに近い感性である。そのようにこのベルナルド・パルメジアーニにも同様なことを感じさせる。しかしこのアルバムは一言で言って、ひじょうに<グッド>である。電子音へのひたすらな慈しむような構えを感じさせる優れた成果と断言できる。器械が発する音への慈しみとは、それ自体への同化に他ならない。電子音への熟知が創り上げたサウンド世界といいたくなるほどにナイーブでセンシティブな美しさのあるアルバムである。全10曲の小作品で構成されたこのなかすべてのものが良いが、A面4曲目の「Etude Elastique」にはジーンとしびれさせるものがある。電子音を慈しむまことにすばらしいアルバムであることをここで言い切っておこう。


ローランドカイン―― http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/27492510.html
ローランドカイン―― http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/23754202.html