yuki-midorinomoriの日記

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静寂の雪景色に幽韻纏綿の尺八がジャズトリオとコラボする、山本邦山の名品 『銀界』(1970)

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銀界(その壱) silver world(1)

           

<1967年7月、原信夫とシャープス・アンド・フラッツと共にニューポート・ジャズフェスティバルに出演、HOZAN YAMAMOTOのバンブーフルートはジャズの桧舞台において並み居る聴衆を魅了しつくした。彼の演奏に接したアメリカのジャズ関係者のなかには、その場でレコーディングや、全米演奏旅行への誘いをかけたものもあった>(本多俊夫)だそうである。
こうしたエキゾチックな尺八という邦楽器によるインプロヴィゼーションの物珍しさは当然あっただろうけれど、山本邦山(1937)その人の技量がかの地の人々に大きな感動を与えた最大の要因であったことは言うまでもないことだろう。
若き日よりその才能認められて数々の栄誉を与えられ、今や重要無形文化財保持者(人間国宝)として斯界での位置はゆるぎなきものとなっている。その<HOZAN YAMAMOTO>が尺八一本を携えそうそうたるメンバーのカルテットでジャズに挑んだ名品が今回取りあげるアルバムである。ピアノ菊池雅章、ベースにゲーリー・ピーコック、ドラム村上寛とのコンボで1970年録音された『銀界』がそれである。
いくどしんしんと心洗われる思いで聴いたことだろう。幽韻情緒纏綿とした尺八の音色が静けさ極まる空間に吹き放たれ、揺らぎ揺らいで吹きすさぶ尺八は魂をとらえゆさぶる。菊池雅章のピアノがシンプルな音で絶妙の<間>をつくりだしひきしめる。伝統的な邦楽器と西洋音階との混合世界の違和感などはまったくと言っていいほどない。不思議に尺八の演奏がフィットして心地よく自然の情緒世界に入り込むことができる。トリオの三人が放埓にならず、ほどよく二つの世界が折り合う余情を持った淡い世界の場を切り開く好演奏をしているのが尺八を違和なくジャズインタープレーに引きいれてる最大の要因なのだろう。もちろん山本邦山のインプロヴィゼーションの力量、柔軟な対応力が最大のポイントであるのは言うまでもないことだけれど。
尺八を携え、声明の経の読誦に同じい尺八曲を門かど、路上で吹誦し、布施を乞う虚無僧としての修業をも課したそのなかで、山本邦山は「行く雲、行く水を心の糧として、大自然のなかで尺八を吹く。風の音、水の音、木の葉の音、そういった自然の音と対話をかわそうと、それは懸命に吹いたものでした。」このような中で培われ練り上げられて<自然が奏でる>尺八を感得したのだろう。
これと同じような意味合いのことがかつてラジオ放送で、名前は出てこないが横笛奏者の番組でも、練習は自然との対話として野外で行っているとのコメントがあったのを記憶している。まさしくインプロヴィゼーションの修練なのであろう。だからなのだろうか、そうした融通無碍、自在のジャズコラボレーションがここに名品として結実したのだろう。
「銀界」とはいうまでもなくしんしんとした静寂に雪の降り積もった銀世界を意味する。そのイメージにふさわしい作品であるけれど、A面、序―銀界―竜安寺の石庭、B面、驟雨―沢之瀬―終、という各パートへの名付けに目をはしらせるだけでより一層に、しんしんとした静寂の雪景色に幽韻情緒纏綿の尺八が自在境のうちに吹誦されるさまが感ぜられることだろう。




銀界(その弐) silver world(2)