yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

経典読誦のユニゾンに仏の世界へと生きる、すべての邦歌曲の淵源 『真言・声明』

イメージ 1

演歌を聴くにつけ、浪曲を耳にするにつけ、はたまた大寒の時節にかどかどで耳にすることもかつてあっただろう御詠歌、総じて日本の伝統的な歌舞音曲・邦楽に何かしら共通した節回しを感じることがあるだろう。まさしくその源流が<お経>にあることを如実に実感するのがここで取りあげる<声明>である。そもそも≪声明(しょうみょう)は仏教の法会(ほうえ=儀式)において、経典を朗誦する典礼のための声楽である。・・・・その起源は古代インドの上流階級に要求された五つの教養の一つの、正しい言葉を話すための言語学である。これが仏典を朗誦する際の言葉の抑揚から経典を歌う声楽の意味に転じた。・・・・中国(唐)へ伝来した際に、この仏典を朗誦するSabda-Vidyaは声明と漢訳された。<明>は知識・学問の意味と解しておいて良い。≫(木戸敏郎)というように「正しい言葉を話すための言語学」として、その淵源があるとの指摘は啓蒙より権力性・制度性を象徴することとして興味深い。その典礼音楽としての声明はインド・サンスクリット語の声明である梵賛(ぼんさん)、中国語の漢賛、そして仏教定着以後平安時代中期より日本語での和賛という移り行きの歴史を持つ。仏教普遍化の途上≪一般庶民の識字能力が低かった時代に宗教の概念を広める為≫ということは即ち、先の指摘にあるように、宗教=真言=言葉・文字を持するものが権力であるのと等しい時代ではその意味するところの実質はいまさら言うまでもないだろう。わが国ではそうした仏教の鎮護国家へのイデオロギー的な位置づけを背景に典礼音楽として<節>を持って読経する声明がそうした権力性・制度性とともに推進された。このようにこの仏教声楽である和賛が声明として、鎮護仏教の広がりを持つにいたって、その後の日本の多くの声楽を産出する礎ともなる。≪声明は日本の歌曲の原点として、今様、平家琵琶謡曲浄瑠璃、小唄、長唄浪花節、民謡、演歌等≫の中にその節回しとともに生きている。だがどうして<節>をつけユニゾンで経を音楽として読む<声明>が普遍的な意味付けを持つにいたったのだろう。それは「一切衆生 悉有仏性」「草木国土 悉皆成仏」と仏典にいうごとく、この世に存在するものすべてには悉く仏性がそなわっているという存在認識である。<我々は不幸にして仏陀の入滅の後の時代に生きているために直接に仏陀の声に接することはできない。しかし、今でも我々は仏陀の声に極めて近い音を聞くことができる。その音とはこの世の万物がことごとく音をたててそれらが渾然一体となって調和したとき、その音は仏陀の声に最も近い音のはずである。何故ならばすべてのものはそれぞれに応じて仏陀の性格が与えられており、それらが一つに融合したとき、より完全な仏陀の性格に近く、音も仏陀の声に近い音となるのである。>という空海の「声字実相義」にみられる<音・声>なるものの真理のありどころが<仏陀>仏性に根拠つけられるような思想が横たわっているといえよう。このように<声>=声明のうちにマントラ真言(いつわりのない真実の言葉。密教で、仏・菩薩(ぼさつ)などの真実の言葉)をきくものとして典礼化されたのが声明であり、そのユニゾンの読誦の法悦に「渾然一体となって調和したとき、その音は仏陀の声に最も近い音」を聞き、仏を、真言を聴くということであろう。≪曼荼羅によって目から仏の世界を伝えようとするように、声明によって耳から仏の世界を体感、直参させ、また、それを唱えることで自ら仏の世界に入ることを目指します。ですから声明は単なる音楽ではなく、主に儀式・法要で唱えられ、宗教的に重要な意味を持っているわけです≫。1974年ドイツ、ベートーベンホールでのライブで録音されたこのアルバム『真言密教の大般若心経転読会』の<声明>を聴くにつれその抑揚、節回しなどにつねひごろ耳にするあらゆる邦歌曲が、なるほどよく似ているという印象をもつだろうし、それ以上のことを考えさせられることだろう。今のように標準語がなく方言で分化されていた時代、列島の人々はどのようにしてコミュニケートしていたのだろう。何を媒介としてコミュニケーションを図ったのだろう。


        五 大 に み な 響 き あ り

        十 界 に 言 語 を 具 す

        六 塵 こ と ご と く 文 字 な り

        法 身 は こ れ 実 相 な り

                       空海『声字実相義』

        宇宙の音響響き渡り、
        山川草木に共振して、人の声となり、
        五体くだいて言葉となり、またふたたび時空にかえってゆく。