yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

革新のスピリットみなぎる斬新で躍動するセシル・テーラーのピアノ『AIR』(1960)

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AIR @ THE WORLD OF CECIL TAYLOR

           

サックスのアーチー・シェップをフューチャーしたクァルテットでの1960年セッションの記録『AIR』。ベースはビュエル・ネイドリンガー、ドラムをデニス・チャールズと初期セシル・テーラーの固定したコンボメンバーによるもの。誠に快調なセシル・テーラーである。自在境に入りつつあるセシル・テーラーの躍動する自信に満ちたパフォーマンスに魅了されるすばらしいアルバムといえよう。もうここにはよどみためらう遠慮はない。明確な自己のピアノスタイルの宣言である。革新のスピリットみなぎる斬新さで流麗に音列を無調して疾駆する。アグレッシヴでかつ不協音ないまぜての現代音楽の匂いふんぷんとするパフォーマンスがたまらないという、常識の備わったまともな第三者から見れば馬鹿らしいほどの単純な喜びからでしかないのだけれど。彼のクラシカルな音楽教養が邪魔するのではなく立派に生かされているのだ。おおかたをはぐらかし、あたりまえのフレージングの処理でないのがまた魅力でもある。なんと奇妙なひと癖もふた癖もひねくれとおしたブルースだこと。あたりまえの美しさに酔ってなんになると啖呵のひとつも言いたくなるほどである。とは言うものの現代音楽とフリージャズにのめりこんでいた私はそんなにあれもこれもといかなくて、さほどメインストリームのジャズを聴いているわけではない。だからあまり大きなことはいえないのは承知だけれど、元来が当たり前の楽しみ方に退屈するへそ曲がり天邪鬼ゆえに、名ジャズピアニストと世に言われるプレーヤーのものを熱心に聴いたわけではない。たまたま耳にしては凄いな、とは思うものの、それだけでそれ以上にまでいかない。自分にひっかかるもののないもの、受けをねらった楽しいだけのものにもトンと興味が湧かない難儀な性分で困ったものだとつねづね思ってはいる。世のまじめなファンから顰蹙を買うこと必定だけれど、私には美しすぎる、上手すぎる、まとまりすぎるのも退屈をもたらすものだ、とだけ言っておこう。とはいえマイナーなものは所詮マイナーでもあり過分に持ち上げることもどうかなとも思ってはいる。なんだかややこしいことではあるけれど。ともかく不協音に満ちた尋常でないジャズピアノの美しさをクリエイトした、躍動するセシル・テーラーを堪能できるアルバムである。