yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

研ぎ澄まされた彫琢と手練の美。三善晃『弦楽四重奏曲第一番』(1962)、矢代秋雄『ピアノ・ソナタ』(1960)

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今回が初めてではなく、以前からすでに、この「現代日本の音楽名盤1300シリーズ」の中から幾枚かを拙ブログで取り上げている。要するに1300円という廉価にて日本の作曲家の作品が聴けるとあって、おおよそは購入したはずである。音盤から遠ざかること約20年経ついま、CD時代に入ってこのような企画がなされているのかどうか私は知らない。いったいに、日本の悪しき再販制度に守られての音盤の高価格体質はいっこうに改善されず、したがって、こうしたことから売れない現代音楽、とりわけ日本の作曲家の作品を未だに容易に聴くことが出来ないでいる。まして、昨今の著作権の強化が、そのことに拍車をかけることは必定だと思われる。それに、どれほどの機会を得てわが国の現代音楽作品が公的放送などで流されているのだろうか。こうしたことを考えるとありがたい企画であった。こうした廉価提供という機会がなければ、しょうじき私も手にしはしなかっただろう。要するに大枚はたいてまでということである。今日取り上げる三善晃矢代秋雄がそうした作曲家だというわけではないけれど。しかしどれほどの人がこの図抜けたと世評いわれている作曲家を知り、作品を聞いているだろうか。モーツァルトだのベートーヴェンだのと言い募るクラシック音楽ファンで、どれほどの人が聞いているだろうか。さて、もうどちらも、とびっきりの秀才ということなのだろう。そうした華麗さが放つ絶対的な音楽世界の造形の見事さに感嘆しつつも、いささかの高踏に、はやそれまでという付き合い難さ、近寄り難さを感じるのは私だけだろうか。見事な緊迫をもってはじまる三善晃の『弦楽四重奏曲第一番』が1962年の作曲であることにまず驚く。この完璧なまでの研ぎ澄まされた美しさ。当時、誰がこれほどの彫琢を作品に結晶化し得ただろうか。戦前の作曲家たちと比べたら隔世の感とは大げさにすぎるだろうか。さぞかし、驚きをもって聴かれていたのではと思われる。矢代秋雄の『ピアノ・ソナタ』も1960年に作曲初演されたもので、音列の流れるような美しい展開にはもう手練といってもいいくらいに不足なく自存した音楽世界を作り上げている思いがする。ところで、≪このソナタは1960年夏、倉敷の大原美術館創立30周年記念委嘱作品として作曲され、同年11月7日、同館大ギャラリーにおいて山岡優子氏により初演された。楽譜には、グレコの「受胎告知」をはじめ、セザンヌルノワールゴーギャン、モローなどの数々の名画や、ブールデルの「ベートヴェン像」などを背景にしておこなわれたこの初演は、私(作曲者)にとって忘れ難いものであった。と記されている。≫(解説、金子篤夫)とある。委嘱先が大原美術館であってみれば当然といえばとうぜんの舞台設定であっただろう。また、矢代秋雄が高名な美術史家、矢代幸雄を父に持つ作曲者であれば、別に不思議でもないのかもしれない。しかし、何かしら時代めいた美意識・美学の高踏を感じさせられなくはない。「今、俺は美を前にしてお辞儀の仕方を心得ている。」(アルチュール・ランボー『地獄の季節』)とはいうものの美を前にして毒づきたくなるのもまた止みがたい。。「ある夜のことだ、おれは美を膝に座らせた。――いやな奴だと思った。――悪口雑言してやった。」(アルチュール・ランボー『地獄の季節』・粟津則雄訳)アンビバレントなこの心性は、はたして私の天邪鬼ゆえなのだろうか。