yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

大愚を現成しえたか、<僥倖と恩寵>の即興演奏『GAP』(1976―77)

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以下は、今回取り上げた即興演奏グループ『GAP』<メンバーは佐野清彦(1945-)、多田正美(1953-)、曽我傑の三人>アルバム中にB3サイズの粗末な包装用紙にグレー1色で印刷された、直近のグループ即興演奏のドキュメント、日録からの引用である。


≪【江戸川河原にて1976年7月25日】

平塚の七夕祭りで払い下げてもらった直径10~20cm程の青竹数十本を楽器類やアンプ、発電機などと一緒にトラックに積み込み、朝6時に出発した。途中ドラム缶2本を購入、荷台には、チューナーとスピーカーを背負った凧も乗っている。雨のときは中止すること以外なんのスケジュールもない。幸いにも上々の天候である。河原に到着すると、すでに待っていた数人と共に一斉にセッティングにかかる。青竹オブジェを組むもの、音響設備をセットするもの、発電機を調整するもの、ざっと午後の1時頃までかかった。日曜日でもあり、そこを散歩する親子連れや子供達が遠巻きに見ている。およそ午後3時頃から、いわゆる即興演奏が始まった。マイクが拾う風の音や、竹筒に張った1本の三味線の糸が風で振動して出す音は、それだけでよかった。脇の方では河原の風を受けて、電源のない扇風機が逆にクルクル回り続ける。頃合をみて凧を揚げる。数十メートルも上がった。地上でテストしたから、こちらからの無線信号は上空で音になっているはずである。数分間の凧揚げは風向きの急変による落下で終了。骨組みもアンプル類もメチャメチャ。その時点は日がもう沈んでおり、凧を写したカメラで最後の空の撮影をする。西の上空にUFOらしき変な光を発見し、一斉に注目。これはいまだに謎である。片付け開始午後七時過ぎ。オブジェとして使命の終わった鉄クズや段ボールはひとまとめにくずかごに。その他はのこらずトラックに積みなおす。ドラム缶も財産である。跡形もなく片付いたのは夜11時過ぎで、河原はもとのまま広々としている。セッティングの半分以下の時間で片付いたとはいえ、実に長い労働だった。≫演芸の発祥とされる河原(者)であり、ドラム缶やら、青竹やらが見えるところからグループの音や志向のおおよそが察せられることだろう。最も今回のこのアルバムはスタジオや演奏会場での収録ではあるが基本とするコンセプトは変わらない。ところで以前拙ブログで、メンバーの一人で作曲家の佐野清彦の作品集を取り上げた際に、彼の<即興>の考え方を自著で述べているのを紹介した。それは次のようなものであった。≪彼、著した「音の文化誌」(雄山閣)に「即興性とは偶然として感ぜられる自然を人が演出したとき、事後に言語化したものといってさしつかえないでしょう。そしてそれ以外の偶然ならざる即興性とは単なる人の恣意性にしかすぎません。自由即興の芸、特に音楽における自由即興演奏(フリーインプロヴィゼーション)の問題点は、この真の即興性(それは偶然の僥倖、神の恩寵、神通の一瞬、自然の実相)が、本人の自然体の発露という思いと異なり、単なる恣いまま、自我の野放図の拡散に堕してしまうことが多いことです。」「理知の入り込めない音楽という思想、真の偶然性を感得するには理知を捨て大愚たらねばなりません。自由即興芸の真実は大愚であること、生起する事象、モチーフをあるがままに、理知の働きだす手前で素手で素裸でうけとめるところにあります。」そうしたことで現状の突破を常に図り続ける意味で大愚を現成し続ける必要があり、その意味でも自由即興は実践されるべきことであるとしている。≫(拙ブログより)。こうした思いの実践として「GAP」はあったのだろう。佐野清彦謂う「真の即興性(それは偶然の僥倖、神の恩寵、神通の一瞬、自然の実相)」を見、聞き、そして生きただろうか。空き缶やら、なべやら、竹などなどのありあわせの粗末な楽器ともちろんピアノやら電子機器などとのパフォーマンスとはいえ、祭囃子のごときインプロヴィゼーションパートを聴くにつけ、個我を突き破り愚となるゆるぎなきつながりの共同体を招来し得たのだろうか。ヴィルトージティを求めるものでないだけ肩のこらぬパフォーマンスとはいえるものの、その即興演奏は先の活動ドキュメントの引用文にある≪オブジェとして使命の終わった鉄クズや段ボールはひとまとめにくずかごに。その他はのこらずトラックに積みなおす。ドラム缶も財産である。跡形もなく片付いたのは夜11時過ぎで、河原はもとのまま広々としている。セッティングの半分以下の時間で片付いたとはいえ、実に長い労働だった。≫とのことばがそのままそのパフォーマンスの内実を示しているのではないだろうか。「河原はもとのまま広々としている。・・・・実に長い労働だった。」さっきの音はなんだったのか?
パフォーマンスがかもし出すセンスは決して悪くはない。


     「さあ、全部なくなりましたね、
           
           その無くなった全部が、ほれ、この机の上の消しゴムじゃ!」

                           (松岡正剛



佐野清彦、マイブログ―――
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