yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

清水と闇深き洞窟。生命の脈動のごとき幽けき揺動を響かせ始原の旅へと誘うフランソワ・ベイル-『JEITA』(1969)

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François Bayle - Jeîta pt.2

             

イメージ 2<人間の体の60%から70%程度が水である。>ちなみに地球という生命体も≪総面積は5億1007万2000km2で、そのうち海が3億6113万2000km2(地球表面の70.8%)、陸地が1億4894万km2(29.2%)≫(WIKIPEDIA)だそうである。この地球も水が約70%である。
また血液成分が海水とほぼ同じであることも知られていることである。その血液が先ほどの水分量保持のための重要な機能を果たしている。これらは、はしばしば聞き及ぶところだろう。芽生えた生命は母親の胎内の羊水に育まれ生誕の呱呱の声をこの世にあげる。その羊水の成分は海水にほぼ等しいとも聞く。まさに生命は海をその生誕の起源にもち陸上の生物へと進化する道を歩んできた。
このように、水の存在するところに生命、生物の存在を確証するように、生命にとって水とはほぼ同義であるということなのだろう。このようなことは、はや≪古代ギリシアの哲学者タレスが、万物の根源アルケー(現代でいうところの元素のようなものだが、必ずしも物質的なものではない)は水であると考え≫ていた。イメージとしては相同ともいえよう。
また、万物はそれ以上分割できない原子から成り、原子は空間の中を運動し、結合して世界のあらゆる物を形成するというギリシャデモクリトスによって提唱されていた原子論や、≪『南海の帝を儵(しゅく)と為し、北海の帝を忽(こつ)と為し、中央の帝を混沌(こんとん)と為す。儵と忽と、時に相(あ)い与(とも)に混沌の地に遇(あ)う。混沌これを待つこと甚だ良し。儵と忽と、混沌の徳に報いんことを謀(はか)りて曰く、人みな七竅(きょう)ありて、以て視聴(しちょう)食息す、此れ独り有ることなし。嘗試(こころみ)にこれを鑿(うが)たんと。日に一竅を鑿てるに、七日にして混沌死せり。』→→ 〖南海の帝を儵(しゅく)といい、北海の帝を忽(こつ)といい、中央の帝を混沌(こんとん)といった。儵と忽とはときどき混沌の土地で出会ったが、混沌はとても手厚く彼らをもてなした。儵と忽とはその混沌の恩に報いようと相談し、「人間にはだれでも〔目と耳と鼻と口との〕七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この混沌だけがそれがない。ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと混沌は死んでしまった。〗≫と寓意として語られているように、これは、たんに賢しらな人間の理性的分別云々の意味以上に、宇宙の根源は混沌にありとする荘子の思想のしからしむるところとしても、人間の想像力のすごさを思い知ることである。
斯く、生命の本質存在ともいえる水。そして闇をかかえもつ洞窟。この洞窟とは始まりか、はてまた終わりか。闇の恐れの不分明を思えばどちらのイメージも喚起する。とはいえ、光満ちる世界に出てきて、振り返りみてこその洞穴といわれることであれば子宮観念に同定されるのが古来よりの一般的なイメージとして肯けるだろう。そうした生の始原へのサウンドイメージの旅といえば言えるのかもしれないのが、先日に引きつづき登場のフランソワ・ベイルFrancois Bayle(1932-)『JEITA』(1969)である。
東レバノンにある世界で2番目といわれる巨大な鍾乳洞JEITAの洞窟内でおこなわれた電子音楽のパフォーマンス(electro-acoustical cncert)の記録である。闇の中の水とともにある生命の胎動、洞窟地下に悠久の時を刻む、透き通った清水の滴り落ちるかすかな音。それらすべてが生命の脈動のごとき幽けき揺動を響かせ始原の旅へと誘う。



ジェイタ洞窟 Jeita Cave
http://yascovicci.exblog.jp/2508411







≪解説(福永光司朝日新聞社より引用)
忽(しゅくこつ):いずれも極めて短い時間、束の間という意味。(その象徴として使われている)
渾沌:大いなる無秩序、あらゆる矛盾と対立をさながら一つに包む実在世界そのものの象徴

心知の概念的認識を超え、分別の価値的偏見を忘れた実在そのものの世界に歓喜して、 と忽は渾沌の心からなる歓待に感激した。この渾沌の好意に報いようとしたが、―――――。

この寓話で荘子は作為と分別が、真の実在、すなわち一切存在の生々溌溂たる自然のいとなみを窒息させ死滅させる愚かさを風刺しているのである。―――――、大切なのは生きていることであり、知的統一と体系ではない。ただ生きる渾沌を愛する。生命なき秩序よりも命ある無秩序を愛する。≫(ネット記事より引用)

「恥ずべきものは富む」――荘子の言葉だそうである。