yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

奇妙な響きの世界で、この頃の高橋悠治は面白い。『ピアノのためのクロマモルフ第2番』(1964)、『ローザス1 1/2』(1968)ほか。

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Yuji Takahashi 高橋悠治 - " Rosace II " ローザス第2番 ( 1968 ) : piano - Yuji Takahashi

            

高橋悠治(1938-)という一人の音楽家を考えるとき、ひとはつねに戸惑いがちになる。なぜなら、かれの存在とはこれだな、とひとびとがとらえたと思ったとき、もうかれはそこにはいない。ずっと遠いところにかれはいる。≫(レコード解説、秋山邦晴)まさに斯くいわれているとおりの印象である。いや、ずっと遠いというより、了解しがたい政治性の境域にあるようだ。ここ最近の作品や演奏を耳にする機会を待たないので、これ以上のことは差し控えたいと思う。さて今回のアルバムにはピアノソロ作品の『ピアノのためのクロマモルフ第2番』(1964)、ちなみに≪クロマモルフとは造語で、クロマ(色)+モルフ(形)。つまり、色彩で形をつくるということであり、音色を組織化するためのひとつの方法の具体化への試み≫(レコード解説、秋山邦晴)と云うことだそうである。ヴァイオリンソロのための『ローザス11/2』(1968)、弦楽四重奏の『4つのヴァイオリンのための6つの要素』(1965)。それに混声合唱木管金管、打楽器のための作品『たまおぎ』(1973)が収録されている。いずれもが面白く聴ける作品で、この頃の作品の、制度性・意味性を解体したような、なんとも脈絡なく取り留めのない乱雑、混沌、異質な響きのさみだれる煌きが不思議と魅力で、私は好きである。前も言ったことだけれど、どうしてこのような線で突き進まなかったのかと、かえすがえすも残念なことである。もちろん、『ピアノのためのクロマモルフ第2番』など聴いてみるとクセナキスの「ヘルマ」(1960-61)と似た印象をもつことは確かである。しかしこうした響きを結果する作品の背後にあるといわれている抽象論理(集合論群論、確率論など)は、より豊穣な革新の世界を切り開く手だてとして、いやそれ以上にそこから、クセナキスがそうであったように、土俗性、民俗性を根底から響きのうちに抱懐する真に新しい音楽を形成しえたのではないかと思うのだけれど、どうだろうか。ヴァイオリン作品の『ローザス11/2』にしろ『4つのヴァイオリンのための6つの要素』にしろ、異質な、調子はずれとも聞こえる奇妙な響きの世界で、まことに面白く、ほか(セリー作品)では聞けない(ひねくれた)特異な音響世界である。ともかく、この頃の高橋悠治は面白い。そうした印象をもったアルバムであった。





Yuji Takahashi: Six Stoicheia (1969)






クセナキスピアノ曲「ヘルマ」(専門家向きで、素人の私にはわかりませんが)
http://homepage1.nifty.com/iberia/score_herma.htm