yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

虚空の彼方よりもたらしてくれた音連れ、雑音交じりの電波ウェーブの不思議のざわめきを思い起させるシュトックハウゼンの電子音とコンクレートのための『HYMNEN・讃歌』(1966-68)

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Stockhausen – Hymnen

            

今、中東カタールのドーハでアジア大会が行われて熱戦がメディアを賑わしている。それにしてもダントツに中国が強く、好結果を残しているのは凄いことで今昔の感がある。10億を超える人口と、凄まじいほどの経済成長、生活文化の成熟にともなうスポーツ普及振興ということもあるだろうし、2年後の北京オリンピックへ向けての強化の成果ということもあるのだろう。
昨今のメディア技術の発達革新で競技の経過情報は見事なまでに伝達されている。それも正確な映像と音の視聴が瞬時に可能となっている事を思えば、私たち団塊シルバーの少年時代のラジオしかなかった時代と比べれば電波情報伝達で彼我の感がある。鉱石・ゲルマニュウムラジオから流れるかすかなウェーブのかかった雑音交じりの電波音声に不思議の感動を覚えた記憶はいまだに工作少年の心の片隅に残っていることだろう。目に見えぬ電波が虚空に存在し、それが音となり映像となることの不思議は何も少年だけの事ではない。
近代科学この方、この不思議を突き止めんとした努力の背景には、この少年の不思議と同様の神秘への好奇がつねなるものとして探求へと突き動かしていたのだろう。音の波乗りで名作『キャッチウェーヴ』をパフォーマンスし、また『タージマハール旅行団』のインプロヴィゼーションでライブエレクトニック即興演奏時代を画した小杉武久もラジオ少年であった。
≪少年時代よりヴァイオリンを弾いていた彼が、いちばん「音楽」の新鮮な衝撃を受けたのは、楽器ではなかった。鉱石ラジオからだった。中学一、二年の頃、かれは『ラジオ科学』といった雑誌を毎月愛読して、ラジオの組み立てに熱中していたらしい。「鉱石ラジオを組み立てていて、ある瞬間音が出てくるでしょう。そこから出てくるサウンドは、すごく神秘的なわけですよ、子供っていうのは……。そういった身近な音にすごく感激したんですね。」≫(秋山邦晴
このような体験は少年時、誰しも持っていて懐かしく思われていることだろう。この不思議の音連れがはじまりである。≫こうした事を背景にして≪東洋的瞑想さそう小杉武久独創の悠久の音の波乗りである≫≪ウエーブ音をともなった瞑想的トリップ≫(拙ブログより)へと誘われたのだった。不思議が波に乗って漂っているのだった。ところで、まず思い浮かぶのが、少年時の、海外の遠く遥かで日本の選手が熱闘活躍しているオリンピック競技のウェーブ音と雑音ともなうラジオ実況放送であった。
歳の離れた兄がいたせいか、多分10歳にも満たない少年にもかかわらず1956年開催のメルボルンオリンピックを聴いていた。平泳ぎの古川選手、自由形の山中選手の活躍を、寄せては引くラジオのウェーブ音に、手に汗にぎり胸ときめかして聴いていたのだった。そして1960年ローマ大会であった。このとき以降≪男子体操では団体5連覇のスタートとなり、小野が2大会連続の金メダル獲得と活躍した≫圧倒的な強さであり胸躍らしたものだった。またレスリングも強かった。そして今なお語り草でもあり、少年の心驚かした裸足のマラソンランナーの活躍だった。≪アベベはローマのコースを裸足で駆け抜け、一躍有名になった。エチオピアにとっては、かつて自国へ侵攻したイタリアの首都における勝利という政治的な意味も持っていた。≫東京大会でも優勝し、ゴール直後に余裕で、疲れをほぐす体操を披露して驚かしたあのアベベ・ビキラ選手であった。
≪近代オリンピック史上、マラソンの連覇は初めての快挙≫(以上WIKIPEDIA)だそうである。だが、この国民的英雄は1969年に惜しくも41歳にて世を去った。こうした事どもは皆あの雑音交じりのラジオウェーブ音が虚空の彼方よりもたらしてくれた音連れであった。虚空のあちらには確かにウェーブ発信する実在を予感させたのだった。そうした、ときめかす予感は今日雑音交じりのウェーブの消失と共に無くなってしまったようだ。不思議の濃密な奥行きがなくなってしまった。ときめく予感もない虚ろな実在、ヴァーチャルな世界となった感がある。さてところで、前置きが長くなってしまった。きょう取り上げるアルバム、カールハインツ・シュトックハウゼンの電子音とコンクレートのための『HYMNEN・讃歌』(1966-68)がそうした電波ウェーブの不思議のざわめきを思い起こさせたのだった。ケルンの西ドイツ放送局電子音楽スタジオで制作されたこの2枚組みトータル約110分の大作は世界の国歌を解体的にさまざまに電子変調させて作られたものである。騒雑な電子音と変調された具体音の中、ウェーブをともない聴こえてくる国歌の、とりわけ我が国歌「君が代」の断片がかすかに聴き取られるときの感動はナショナリズムを超えて純なる感動すら覚える。何もかもこの少年の、宇宙の彼方より来るときめき誘うラジオウェーブ騒雑音のいわく言いがたき音連れのなせるところなのだろう。このアルバムの始まりも、そうプッシュボタンではダメなのだ。ラジオの選局、虚空にひしめき混在する電波のダイヤル同調(チューニング)時のえもいわれぬさまざまな放送の混在した騒雑音、その分明定かならざる電子ウェーブ音から始まるのである。これはもう堪らなくノスタルジーを誘う呼びかけのウェーブ音である。≪昭和21年(1946年)、中学生だった私はラジオから流れてくるNHK交響楽団の演奏に聴き入っていた。焼け残った大阪・中之島の朝日会館で開いた、N響の戦後初めての演奏会だった。故朝比奈隆さんはそのコンサートを満州中国東北部)で聴いていた。拾った鉱石で組み立てたラジオが流す、ベートーベンのシンフォニーに望郷の念をかき立てられたという。朝比奈さんは翌年、引き揚げて大阪フィルハーモニー交響楽団の前身、関西交響楽団を結成する≫(小松左京・日経「私の履歴書」より)。




鉱石ラジオ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%B1%E7%9F%B3%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA
大きくて小さい鉱石ラジオを作りましょう
(電気も電池も要らないラジオです)
http://www.jiii.or.jp/clubnews/file/radio_1.html
http://www.geocities.jp/xtalradio59/main.html