yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アサンブラージュ、コラージュのもたらす意外性が即興性と相俟ってことのほか新鮮な響きをもたらすルーカス・フォス『ノン・インプロザシオン』(1967)ほか。

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イメージ 2ルーカス・フォスLukas foss(1922-)。アメリカの作曲家。哲学教授を父、画家を母としてドイツ、ベルリンにて生を享ける。≪1933年ヒットラー政権の成立を見て、一家はパリへと移住する≫。ユダヤ系インテリの流浪である。   
其処で、コンセルバトワールに席を置くも個人的にピアノをラザール・レヴィに、ノエルガロンに作曲、ルイ・モイーズにフルートを習っている。そして≪1937年、彼が15歳の時、一家は米国にわたる。フォスはまずカーチス音楽院、ついで1940年にエール大学に入学し、ここでヒンデミットに師事した≫(解説書・武田明倫)。その後も奨学生として研鑽修学につとめたとある。
これらを見てもその才の程を窺わせるといえよう。≪1950年にはフルブライト研究生としてローマに留学、1953年に帰国するとシェーンべルクの後を継いで、カリフォルニア大学の作曲教授、ならびに同大学オーケストラの指揮者に就任した≫(同上)
そしてルーカス・フォスが大きくクローズアップされるきっかけとなる、1963年招聘されてのバッファローニューヨーク大学就任であり、そこでのバッファロー・フィルハーモニック・オーケストラの音楽監督として、アメリカ等の現代音楽紹介、実践の場としての地位を確立。≪同地を米国における現代音楽のメッカに育て上げた。≫(同上)
斯くほどの人物であるけれど、知名度の程はどうなのだろう。知る人は知るということであろうか。WIKIPEDIAにも日本語バージョンでは、その項目が見当たらない。このことからも、そのアメリカ現代音楽界で有するポジションと大きな隔たりが証されているのかもしれない。
同じ12音技法によるセリエルな作品であっても、響きはやはり異質だ。それもは即興演奏というチャレンジングな部分が前面に出ているからなのだろう。もっともこれがルーカス・フォスをヨーロッパでのその評価を知らしめることとなったのだった。
生き生きとした動きのある硬質な響きと意外性は、まことに小気味よい。昨日のアール・ブラウンに感じたメリハリと清新なハツラツ、エネルギーは、ここでも聴くことができる。打楽器、チェロ、クラリネット、ピアノのための『エコイ』(1961‐63)。
また、ギリシャの詩人アルキロコス(BC714-676)の遺された詩句の断片を使っての声(合唱)と楽器との、これまたさまざまにそのつど組み合わせを変えての不確定がもたらす意外さを意図した作品。
そして最後がルーカス・フォスのコンセプトが如実に現れている作品『ノン・インプロザシオン』(1967)である。コラージュ技法【フランス・collage《「糊(のり)づけ」の意》現代絵画の一技法。画面に印刷物、写真の切り抜き、針金など、さまざまなものをはりつけ、一部に加筆などをして構成するもの。ダダイスムシュールレアリスムで多用され、今日では広告などにも用いられる。】が即興演奏のなかで使われる。轟然とマッスで鳴り響く≪密度の濃い音塊のなかからほのかに浮かび上がり、消えてゆく音楽はなじみ深いバッハの音楽≫である。これがことのほかノスタルジックに、やさしく美しく聴こえてくるのだ。
ともかく、アサンブラージュ(assemblage)【《組み合わせの意》現代美術の手法の一。既製品や廃品、また、その断片を寄せ集めて美術作品を作ること。ダダイスムに端を発し、1960年代に一般化した。】、コラージュのもたらす意外性が即興性と相俟ってことのほか新鮮な響きをもたらすのだ。ある種、音楽でのポップアート解説者・武田明倫は≪個人的な「署名」を無力化したよりおおらかな音楽のあり方と意味を求めるものなのである。≫と評している。確かに表現主体・作家個性の没価値化・無署名、無名性に芸術・表現の解放を企図した新思潮の具現化といえるのだろうか。
作曲家ルーカス・フォスはこの作品について≪各演奏者が十分な指示に従って演奏するものであるから「インプロザシオン」ではなく、また演奏者は楽譜なしに演奏するのであるから「ノン・コンポジション」である。これは一種の「演奏音楽」であり、「作曲即演奏」なのである。≫(同上)と述べている。即興演奏とコラージュ。時代の音楽芸術思潮でもあった。その優れた成果でもある。




ルーカス・フォス(英文)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lukas_Foss

ルーカス・フォスの全曲約30分の作品『Concerto for Percussion and Orchestra 』(1974)がリアルプレーヤーで聴けます。
是非聴いていただきたいものだ。