yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

モーツアルトのレクイエム『Lacrymosa(悲しみ・涙の日よ)』を『るろうに剣心』『ゼノサーガ・(Xenosaga)』のアニメでYOUTUBE視聴。

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                 【上】『るろうに剣心
                 【下】『ゼノサーガ』 (Xenosaga)


これは驚いた。所在無げに、例のごとく動画配信サイト・ユーチューブを覗いていたところ、ウォルフガング・アマデウスモーツアルトのレクイエムのかの有名な、あまりにも有名な『Lacrymosa(悲しみ・涙の日よ)』≪生前執筆最後の絶唱といわれている「涙の日よ・Lacrimosa」では、<死の前日、枕もとに来ていた友人たちとこのミサ曲を練習し、自らもそのアルトのパートを歌ったモーツアルトは、このラクリモザのところまで来てこみ上げる激情をこらえきれず楽譜を置いて泣いてしまった>とエピソードされている。≫(マイブログ、「至純にして死を超越する敬虔の祈りを至高の音楽としたモーツァルト」『死者のためのミサ曲』の稿より)のくだりが背景音楽に使われている、今や世界に誇るジャパニーズ・ソフトパワーの象徴、(コミック)アニメーションに出くわしたのだ。
子供が中学入学と同時に剣道部に入る切っ掛けとなったのかどうか問い質したことはないが、コミック『るろうに剣心』(詳しくは下記WIKIPEDIA)を新刊が出るたびにお財布父さんとして買わされた記憶がある。たぶんいまでも本棚に全巻揃って鎮座していることだろう。またテレビアニメでも愉しんでいたことだろう。
グレン・グールドモーツアルト・ムービー、とりわけピアノ曲がないかどうか検索していたのだ。バッハものは数多く検索され驚きと感謝をもって、ともに堪能したけれども、お目当てのモーツアルトものは残念ながらヒットしなかった。
そんななかで出くわしたのがモーツアルトのレクイエムであり、そして件の<Kenshin's Requiem>であった。
私は先のようにその存在こそ知れ、コミックもアニメも見たことがないので、確かなことは分からないが、たぶん日本のアニメではモーツアルトのレクイエムなど使われておらず、≪海外でも絶大な支持を受けている。海外では作品名としてしばしば"Samurai X"が用いられている。この題は剣心の頬の十字傷に由来する。アメリカではアニメの劇場版およびOVAは"Samurai X"の題で発表され、TVシリーズとVIZ Media発行の漫画版はRurouni Kenshinの題で発表された。翻訳版が刊行されている他の諸外国では、ブラジルはじめ、Samurai Xを正式な題名表記にしている国も少なくない。≫(WIKIPEDIA)このように海外版でのみ使われていたのだろう。
これには思わず引き込まれてしまった。ドラマティックに構成された縮約判ムービーの所為もあってか、直截的な剣の殺戮シーンといい、戦のドラマチックな悲劇性といい、モーツアルトのレクイエム、とりわけ、あのモーツアルトが≪こみ上げる激情をこらえきれず楽譜を置いて泣いてしまった≫と言われるほどの感動的なフレーズのLacrymosa(悲しみ・涙の日よ)がよりいっそう悲しみを募らせる。音楽の劇的力が与ってのことなのかどうかはっきりとは言い切れないほどにアニメーションにも魅(観)入ったことは確かだ。
時たま出くわすNHK子供番組の『みんなの歌』のアニメーションなどにはその素晴らしさに感心すること頻りであることからして元来好きなジャンルである。こうしたジャンルのカルチャー現象にはひじょうな興味を持つものの、私には初耳というより殆んど無知である。
ところが、これのみではなかった。いい物を偶々の機会にまたひとつ見せてもらった。それはこの『るろうに剣心』の次に検索ヒットした『XENOSAGA』≪ゼノサーガシリーズ(Xenosaga)はモノリスソフトが開発し、ナムコが発売したプレイステーション2RPGのシリーズである。・・・・ドイツの哲学者F.W.ニーチェ、C.G.ユング、S.フロイトや、グノーシス主義等の哲学や、心理学、宗教的な思想などが背景にあり、それらが支える複雑なSF的要素を含んだ衒学的なストーリーはファンの間で評価が高い。反面ではライトユーザーからストーリーや用語が難解すぎると解釈される事もある。≫(WIKIPEDIA)のだそうである。
これまたこうしたことを知るにつけ驚きであった。コンピュータは仕事上「NEC98」時代から使っていて、たぶん一般の方より早い方だと思うけれど、これはあくまで事務処理用として使っていただけで、ネットもゲームも疎遠だった。元来ゲーム、賭け事などには興味の沸かないたちで、子供たちが遊んでいるゲームなど何らかのいわくの日に所望されて買い与えるだけで、自身したことも覗いたこともない。
だが、この機にその『ゼノサーガ』アニメーション映像を、それも、モーツアルトの印象的な悲しみのフレーズをバックに聴きながら観ると、なんだか地球・惑星への望郷的せつなさ儚さとでも云った、もの悲しさが漂っているではないか。素晴らしいその感性に感心した。もう先の見えた大人の私がそのように感じるのを、子供たちはどう感じ、魅入っているのか、これは関心のあることである。<存在の儚さ>から『地球とは、想い出ならずや』とは、斯の宇宙・機械派の怪僧?作家・稲垣足穂のコトバでなかっただろうか。そんなことを思ったのだった。





『Kenshin's Requiem』――(YOUTUBE視聴)


るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』(るろうにけんしんめいじけんかくろまんたん/ 海外表記:Rurouni KenshinもしくはSamurai X)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8B%E3%82%8D%E3%81%86%E3%81%AB%E5%89%A3%E5%BF%83_-%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%89%A3%E5%AE%A2%E6%B5%AA%E6%BC%AB%E8%AD%9A-


ハリーポッター』より・Lacrymosa - Harry/Severus
http://www.youtube.com/watch?v=Oxu_2ISd92E