yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

抽象的で透きとおった硬質なダイナミズム。引き締まった美しい世界ピエール・ブーレーズ(1925-)の、2台のピアノのための『構造(ストリクチュール)』(1952‐61)

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Boulez, Structures pour deux pianos, Livre II

            

ピエール・ブーレーズPierre Boulez
イメージ 2まったくの快感とはこういうときにやってくるものだ。なにげなく、針を下ろす!そう、レコードです。(いまやダイヤルは回すものでなく押すものとなった。)
ところでレコードなぞ二束三文かと思いきや店頭でそこそこの値付けで売られているのには、いささか驚いた。CDバージョンがあるのに何を好きこのんで針という消耗品の必要なレコードを買う人がいるのか知らんと思うのだけれど。音質云々を言う人がいるけれど、正直私はわからない。
科学技術も日進月歩だ。単なる利便性だけでCDが普及しているとは思えない。たぶん音質も云うほどの違いはないのだろう。そうでなければ、CD普及の社会現象の説明がつかない。
ま、そんなことはどうでもいいけれど。ストックしたアナログレコードの成仏を願う意味でも、またこちらもいつまで長らえるか、はや分かったものではない歳まわりとなり、音楽に事寄せてのブログを機にせっせとアナログレコードに針を下ろし聴き返している。
本はといえば、読み返すのに時間がかかりすぎるし、読んだところで、ザルでもあり・・・となかば諦めの念いがないでもない。
ということで話は戻り、さて、ゾクゾクするほどの快感を味あわせてくれたその音源とはピエール・ブーレーズPierre Boulez(1925-)の、2台のピアノのための『構造(ストリクチュール)』(1952-61)であった。
それは、師であるオリヴィエ・メシアンピアノ曲音価と強度のモード」で提示した、音のパラメーターの徹底した分解再構造化、つまりは音楽を理性的数理的にコントロールせんとする合理的的理性のどんづまりともいえるトータルセリーの結晶を示す作品でもあった。各パラメーター、<音高><音価><アタック=奏法><強度>による徹底した音の分解再構造化であった。
この2台のピアノのための『構造(ストリクチュール)』はⅠとⅡに分かれており、その要素の細分化は精緻を究めている。しかしその帰結するところ、結果としての現実音の変革にはそうした細分化では得ること少ないと、のちこの細分化の反動がクセナキスやペンデレツキ、そしてリゲティなどの音群・クラスターなどによる音色探求のトレンドを生み出すこととなった。
だがしかしである。≪この1952年に作曲された『ストリクチュール・Ⅰ』は<1a>、<1b>、<1c>の3つの部分からなるが、とくに<1a>は作曲過程における主観的、任意的操作をまったく排除した厳格な<ミュージック・セリエル>の例として有名なものである。つまり、ここでは各パラメーターの<セリー>とそれらのセリーの<展開法>のプリンシプルが確定されると、実際の作曲の過程はまったく機械的に進行する。ブーレーズは言い換えるなら、この<オートノミー>の仕掛けを創り出したのだといってもよい。そしてそのことこそ、まさに彼がこの<1a>で意図したことなのだ。
それははじめに述べたように、ヨーロッパ音楽の本質のひとつである数理的な秩序の展開を極限にまでつき進めた、いわば<絶対零度>の世界なのだ。ブーレーズ自身はこの<1a>に、パウル・クレーの絵のタイトルを取った「沃野の果ての記念碑」という副題を与えたかった、と述べている≫(解説・武田明倫より)
なにあろうこの<1a>の出だしにすこぶるの快感を感じたのである。この抽象的で透きとおった硬質なダイナミズム「<絶対零度>の世界」にゾクゾクしたのだった。そしてこの点描世界の極北『ストリクチュール・Ⅰ』(1952)から音群作法・(ブーレーズ云うところのケージの怠慢による偶然性に対する)管理された偶然性=予期しがたさの驚き・新鮮の展開をみせる『ストリクチュール・Ⅱ』(1956-61)の結実となる。
ブーレーズの10年間の音楽コンセプトの変遷が如実に表れている作品となっている。それは、また現代音楽の変遷と重なるものでもあった。『ピアノソナタ』同様この2台のピアノのための『構造(ストリクチュール)』も素晴らしい。とりわけ『ストリクチュール・Ⅰ』は<抽象的で透きとおった硬質なダイナミズム>の引き締まった世界は云いようもなく美しい。
ドイツ現代音楽ピアノ演奏の名手アルフォンス・コンタルスキー、アロイス・コンタルスキー兄弟二人による演奏も好ましい。
同時期おなじく約10年に亘ってシュトックハウゼンも11曲の「ピアノ曲http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/26711527.html の傑作を音楽史に残している。両作品いまや古典である。是非とも聞いておきたい名作古典であることを疑わない。