yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

武骨で剄い美しさ。<意志力>が響く間宮芳生(みちお)の『ピアノ協奏曲第2番』(1970)と『ピアノソナタ第2番』(1973)。

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間宮芳生(みちお)
イメージ 2きのうのブログで、ジャズサックス奏者を<鬼才>と讃し自らの音楽上での大きなインパクトを受けたジャズメンとしてエリック・ドルフィーを上げていた間宮芳生(みちお)の名作、尾高賞、および芸術祭優秀賞受賞の『ピアノ協奏曲第2番』(1970)とこれまた芸術祭優秀賞、ほか受賞の『ピアノソナタ第2番』(1973)が収録されているアルバムを今日は取り上げよう。民俗を熟達の洗練に昇華した、豪快でスケール大きく、堅固にして芯が強く、よく鳴るオーケストレーション。まことに、剄いですねといったところか。つくり過ぎず、練りすぎない。しかし粗野卑俗ではない。そうだ、これは5代国鉄総裁の石田礼助国鉄総裁に就任した後、国会での挨拶で言ったという「粗にして野だが卑ではない」という有名な言葉だった。骨がある。べつに、間宮芳生が<粗>であるとは決して言っているのではないことはもちろんだけれど。武骨であることを捨てない、その姿勢は好ましく、信を置くことができる。自身ピアノを得手としていることもあってかコンチェルトでの堅く屹立した際立つピアノソロ(特に第2楽章)が気持ち好い。またピアノソナタでは、自分を売り渡すような着飾った流麗な美しさはないが、いや、あえて避けているのだろうけれど、その媚を売らない骨っぽさと強靭を見せ付けられる。ソリスト野島稔のヴィルトージティは、その武骨の意志を体現して、しかし美しく、それは実質をもつ。剄い美しさであるといっておこう。そのピアニスト野島稔の才能に初めて出会った時の印象を≪たぶん18才か19才だったはず・・・・ピアノという楽器を肉体化しえたピアニストが日本にはじめてあらわれたと感じた。演奏技術という手続きのまわりをまわって音楽へ達しようと努めているような凡庸さとは無縁の才能である。彼は当時すでにピアノによって思い、ピアノによって語っていた・・・≫と評し、この才能を念頭に構想・作曲されたとある。さて最後に、作曲家の言葉は、音ほどに受けとってはいけないかもしれないけれど、目に留まった言葉を引用して終えたいと思う≪・・・確かに、今日の人類の不幸の根元に、宇宙の運動からの霊の自立、自立が招来した宇宙の運動との鋭い対立があるのかもしれない。しかし霊の自立それ自体が宇宙の運動の中の一つの姿なのだろうから、人間が人間である限り、霊が宇宙に合一してゆくのには、霊は、解体ではなく、解体のように見えながら、無限にゼロに近ずきつつ、決してゼロにならないというあり様しか、われわれには望めないということになるのではあるまいか。芸術を成立させる狂気と、ぼくはそれを呼ぼう。釈迦ならばそれを解脱と呼んだことなのだろう。それはやはり意志力なのであろう。≫(レコード解説・自作コメントより)

≪われわれはたれでも「神への漸近線」の上におかれている。≫(稲垣足穂





石田 礼助(いしだ れいすけ、明治19年1886年)- 昭和53年(1978年))は、昭和初期から中期(1930年代後半-1960年代)の実業家。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E7%A4%BC%E5%8A%A9