yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

リズムと沈黙、持続を経巡り雌伏していたジョン・ケージ。マンハッタン・パーカッション・アンサンブルの『CONCERT PERCUSSION for ORCHESTRA』

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John Cage: Second Construction (1940)

           

ジョン・ケージJohn cage
イメージ 2≪ケージが打楽器のために作曲するようになったきっかけのひとつは、シェーンベルクに師事して12音音楽を学んだことである。もし調性音楽から脱却しようとするなら、調性を規定してきた固定した音の考え方を否定すべきなのであり、12音の方法は単に音符から音符への移行を調整するにすぎない。そこには音そのものへの変革はない。もうひとつ、音楽が音と沈黙によってつくられているとするなら、音には音高、音強、音色、持続といった属性があるのに、沈黙の属性は持続のみである。ここから、音楽のもっとも基本的な構造は持続の組み合わせ、すなわちリズムであるということになる。≫(祐安重夫・高橋悠治演奏<ジョン・ケージプリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード」>への音盤解説より引用)ここにはひじょうに興味深い指摘がある。≪沈黙の属性は持続のみである≫と≪音楽のもっとも基本的な構造は持続の組み合わせ、すなわちリズムである≫。前者「沈黙の属性は持続のみである」とは一体何を意味するのか?持続音・ドローンが瞑想的な意識状態を間違いなく普遍的に招来することと関係あるのだろうか。関係意識を持たないとする動物にはドローンはそうした意識状態の招来はないのだろうか。これは私がつねに疑問に思っていることである。長短、強弱、前後、そうした区別認識(意識)の存在を前提とするリズム。これはまさしく、人間時間の生成に他ならない。意識的な区別の無化としての持続音・ドローン。私たちはここに、瞑想的涅槃の擬似境域を沈黙として生きる。ケージは沈黙とは音に満ちた持続する世界だとした。(武満徹もそれと同じように、沈黙とは音で満ちているといい、黒くびっしりと満ちて起っているといった)そこに生成をもたらすのがリズムであると。いや存在(生成)のリズムといっていいのだろう。≪音楽におけるリズム・・・楽曲全体に渡り安定して繰り返される構造化された時間的パターン。メロディ(旋律)、和声(和声)とともに音楽の三要素のひとつとされる。有音と無音、音量の強弱、さらに各々の時間配分といった構成要素を複雑に組み合わせた結果、感受可能な組合せとして表現される。この場合、無音が果たす役割はたいへん重要でリズムの根幹と言える。≫(WIKIPEDIA)このようなことを考えるよすがとして、この今回のアルバム、マンハッタン・パーカッション・アンサンブルの『CONCERT PERCUSSION for ORCHESTRA』を取り上げた訳ではない。たまたまネットオークションを覗いていて、このアルバムが思いのほかの値付けで競られていたからであった。別にそうしたオークションや、所有しているものに資産的価値が有るや無いなどほとんど興味も無いけれど、どうしてこのアルバムに?といった思いであった。それが棚から取り出し聞く機会を得るにいたったイメージ 3というきわめていい加減な理由からであった。が、しかし上記のような極めて大事な本質的哲学的な問題を考えるきっかけを与えてくれたという意味では感謝すべきことであったのかもしれない。John cage、 henry cowell、 lou Harrison、 amadeo roldan、 William russellらの1930年から1943年という時期の作品(この時代性も興味深いことだけれど)がJohn cageとPaul price の指揮によって演奏され収録されたもの。やはりケージの作品が突出しているし、彼の初期のプリペアド・ピアノ作品と時期が同じということを表している作風を持つ打楽器作品である。リズムと沈黙これがこの時期雌伏していただろうケージを経巡っていた問題であった。

                               ヘンリー・カウエルHenry Cowell



無限(むげん、infinity)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%99%90




松岡正剛の千夜千冊『新幾何学思想史』近藤洋逸
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1019.html

ヘンリー・カウエルHenry Cowell (1897 –1965)
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Cowell