yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

精神の充溢が顕著なシェーンベルクの「ヴァイオリン協奏曲 op.36」と、調性に後退したグールド弾く「ピアノ協奏曲 op.42」。

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          ?H3>Mitsuko Uchida on Schoenberg's Piano Concerto            
           ドイツ語訛りの英語がおもしろい内田光子

アーノルド・シェーンベルク
イメージ 2以前から棚にあったものを取り出し、携帯電話のカメラでアルバム撮影を終え、いつでもブログに登場できるように、スタンバイしてはいたものの、<気>がのらず、順送りになっていたアーノルド・シェーンベルクArnold Schoenberg(1874 - 1951)の協奏曲のアルバム。どちらかと言えば、私の好みは峻厳透徹のウェーベルンで、いわゆる師とされているシェーンベルクは古典的時代の残滓ともいえるのだろうか、あの後期ロマン派のねちっとした香気が中途半端でいやだったのだ。もっと音がシンプルで密度たかく凝縮された硬質の世界に、つまりはそうしたウェーベルン的世界にぞっこんであった身には、そのロマンの香気が、全面的にではないけれど受け入れることを許さなかったのだ。だからか、アルバン・ベルクもあまりまじめに聞けなかった。ロマン的な大仰な美しさへの退嬰的傾斜が面白くなかったのだ。若さは、極端を好むものだということなのだろう。以前拙ブログ開設まもなくにウェーベルンを取り上げたとき私は≪空疎な音の豊饒、過剰に辟易するものにとっては、無調にみられる削ぎ落とした凝縮にこそ時代をとりまく精神の現在性を指し示しているように感ぜられる。後期浪漫派にみる退嬰的なまでの空虚華美の甘美さに退屈の極みを感じるのは私だけではないであろう。リアリティのあり処は無調にしかなかった。むろん青筋たて、深刻に暗きふちに立つことだけで真実がすべて宿るわけではない。がしかし凝縮された音の厳しいまでの美しさの向こうに、神を殺戮し支えるものを失った挙句にむかえた近代的自我の崩壊、ニヒリズムの影が重くのしかかっているのを感じることだろう≫と述べ立てていた。もちろん、どちらもがニヒリズムの現象形態であることは間違いないことなのだけれど。ところが、先日いつものように、帰宅の自動車のなかで、NHK・FMから私が徹底して遠ざけていたシェーンベルクと同時代の後期ロマン派の雄?リヒャルト・シュトラウスの曲が流れていた。舌打ちしはしたものの、スイッチオフにするほどのことでもないと聴き流していた。曲が変わり、何でも、老いとともに迫り来る死の予感のもとに作曲されたといわれているらしい?「メタモルフォーゼン Metamorphosen」(1945)を聞いたとき思いのほか感激したのだった。その見事に彩られた音の美しさと漂う悲しみとにうなったのだった。もっともこの曲だけに!、だったのだけれど。ことほど左様に、後期ロマン派と称される、はっきりとした展開をもたぬ煮えきらぬように私には聞こえる、そのダラダラとした仰々しさ、≪空虚華美の甘美さ≫が受け入れがたかったのだ。(これは私の独断と偏見であり、音楽史上何の妥当性も持たないだろうことは申し添えておきます。単なる毛嫌いのたぐいと話半分で納めておいてください)そうしたロマン派の面がシェーンベルクの楽曲にも無いではなく、調性への革新性はともかく、後期ロマン派的しっぽがみえかくれしているのが気になり、したがってと言うべきか、中途半端にしかシェーンベルクを聞いてこなかった。おいおい聴こうとは思っているけれど。そうしたこともあって、気乗り薄でもあり、といって奏者の名にグレン・グールドが見えるのをいつまでも放っておくのもと思い一念発起針を下ろした。多分グールドの名が見えるのでこのアルバムを購入したのだろう。イメージ 3しかし作品の出来とすれば、私はB面に収められている「ヴァイオリン協奏曲 op.36」(1934-1936)のほうが、当のお目当てであったろうグールド奏する「ピアノ協奏曲 op.42」(1942)より優れているように思った。演奏がではなく、作品がである。作曲年代は「ピアノ協奏曲 op.42」の方が後だけれど、こちらは調性へ後退しているとの印象が強いし、スピリットが緩い感じがする。それに比し「ヴァイオリン協奏曲 op.36」の方は、精神の充溢が顕著であり、ひじょうに引き締まった、かつダイナミックさも保持した極めて密度の濃い緊迫した作品に仕上がっており、ヴァイオリン協奏曲の傑作と断じて間違いはないだろうとまで思った。ヴァイオリンソロはイスラエル・ベーカーⅠsrael Bakerとある。申し訳ないことだけれど私は詳細を知らない。



                           リヒャルト・シュトラウスRichard Strauss


Arnold Schoenberg's Twelve-Tone Method (English)






新ウィーン楽派(しんウィーンがくは、英語:Second Viennese School, 独語:Zweite Wiener Schule)とは、主に1900年代初頭にかけて、ウィーンで活躍した作曲家の集団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E6%A5%BD%E6%B4%BE