yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

聞くことがすなわち悦びであるといったドビュッシーのピアノ曲。ミシェル・ベロフで聴く。

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         Pollini plays 2 preludes by Debussy as encores in Japan
         

ミシェル・ベロフMichel Beroff
イメージ 2案の定というべきか、サッカーJリーグ開幕とあって、テレビ中継が2試合もあり、すっかり観戦に時間を費やしてしまった。浦和レッズと今期長年の苦節実り一部昇格した横浜FC戦、それに夜に入ってからのガンバ大阪大宮アルディージャ戦。双方順当勝ちかと思われたが、そうは行かず、前年覇者と上位チームの双方、勝ちはしたが辛勝といったところであった。愉しい時間を過ごさせてくれたのだから、ブログに割く時間がなくなったといって言い訳してもはじまらないので、きょうは、聞くことがすなわち悦びであるといった、文句なしのマイフェイバリット、クロード・ドビュッシーClaude Achille Debussyピアノ曲としよう。奏者はミシェル・ベロフMichel Beroff(1950-)。天才の誉れたかく世に出てきたのが早かったせいか、まだ57才ということである。もう少し年齢がいっているかなと思ったけれど意外であった。何でもピアニストにとって重大な身体的損傷ともいえる≪右手首を傷めて≫活動から遠ざかっていたいたこともあってか、華々しさにはいま少しの見劣りがするようだ。もっとも私のほうが単に情報不足であるだけなのかもしれないけれど。例のYOUTUBEで検索してもヒットしなかった。ということは一般的な認知度がさほどではないということを証示しているのかもしれない。が、私にとっては、サンソン・フランソワSamson Françoisのドビュッシーであり、このベロフのドビュッシーであった。まことに乏しいものである。作品が好きだからといって、演奏比べのような趣味は持ち合わせていない。財布のこともある。また古典であればNHK・FMがいやというほどいろいろな奏者のものを聞かせてくれる。シロウトにとっては所詮好き嫌いの次元以上のものではないと割り切っている。言うことない<印象派>の音色の移り行きの妙、きらめく多彩な響きの余韻に心安らぐドビュッシー、時あたかもパリ万国博覧会に象徴される産業社会の急速な植民地化を伴ってのグローバル化がもたらした異文化への興味、異邦のさまざまな旋法を採り入れた斬新な音の世界は従来の西洋音楽の伝統には無い魅力のあるものだった。印象派の画家が好まれるように、ドビュッシーもまたそうである。私だけではないと思っているが、さてどうなのだろう。収録曲はA面1.版画、2.ピアノのために。B面1.映像:第1集(1905)、2.映像:第2集(1907)。


≪「<映像>を弾いてみましたか?自惚れでなしに、シューマンの左、ショパンの右に位置を占めるでしょう」≫(ドビュッシー