yuki-midorinomoriの日記

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<しみじみ>が滲みてくる老いの影。ブラームスの『ヴァイオリンソナタ』3曲

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Brahms: Violin Sonata nº1 (Adagio)

              

ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms
イメージ 2あまりの無知をさらけ出すようでブラームスなど取り上げるのは憚られるのだけれど、たまたまわが町の、蔵書もしれた小さな図書館で借りてきたのがヨハネス・ブラームスJohannes Brahms, 1833 - 1897)のヴァイオリンソナタ3曲の入ったCD。そのデュオでのピアノ奏者がマリア・ジョアン・ピレシュということもあって借りたのだけれど。ヴァイオリンは、フランスのオーガスティン・デュメイ。このピアニストの音はオーソドックス堅実であり、しかもクリアで粒立ちて美しいということもあって好みであった。先日マイブログのYOUTUBE館にていい動画<Mozart Concerto Maria João Pires Boulez>が検索ヒットしたので貼り付け鑑賞した。ところでブラームスといえば、学校の試験問題にもでるほどの≪ドイツ音楽に於ける「三大B」≫としてバッハ、ベートーベンと並び称される作曲家なのに、私は、なぜかベートーベンどまりだった。どうしてなのだろう。バイオリンソナタでもバッハ、ベートーベンなどは、現代音楽を主に聞いていた時でさえ思い出したように耳にし感動していたのに、ブラームスは関心の外だった。<地味>と印象していたのかもしれない。レクイエム・宗教曲でもそうだった。まともに「ドイツレクイエム」も聞いていない。それらは老後の楽しみとしておこう。さて、団塊シルバーのこの私も、しっとりとしたブラームスの世界がしみいる年嵩となってきたようである。最近ますます室内楽が好みとなってきている。この3つのヴァイオリンソナタなど聞くと、ピアノとの対話的流麗さと親しみのあるフレーズに満ちた室内楽的芳醇の充溢する世界が分かりかけてきたようだ。解説書にある≪暗く内向的な情熱や渋くくすんだ色彩・・円熟した書法が十二分に駆使されたその旨味のある表現・・憂鬱で悩ましげな暗い情感≫(内田龍一)。このような評言を聞くと、凡百には、「三大B」の一角とはいえ、その音楽世界になかなか簡単には入っていけないのも無理はないのかもと思ったりする。年の功という時熟が必要なようだ。<しみじみ>が滲みてくる老いの影。それにしても、このピアノとヴァイオリンの渋い円熟の対話の音楽世界は、時代がそうさせているのか、人がそうさせているのか、伝統がそうさせているのか、言いようもなく魅惑的である。