yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

絶巓なす響きの芳醇、ロマンと悲愁の極み 。熟成の生の薫り高い室内楽。ブラームス『弦楽五重奏曲第二番』と『クラリネット五重奏曲』。

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Thomas Friedli - Brahms Clarinet quintet 1st mov. (audio)

          


ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms
イメージ 2どうやらこの作品『弦楽五重奏曲第二番ト長調 作品111』(1890)あたりが、 ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833 - 1897)の 絶巓なのかどうかは、わたしにはわからないが、ゾクゾクさせるほどのすばらしい弦楽の響きだ。どうしてこうも甘美なメロディーが湧き出すように次からつぎへと奏でられるのだろう。いささか酔っているのではありませんかと、言いたくなるほどの、陶酔的なロマンティシズムにあふれた作品だ。ここでもハンガリー 民謡(ジプシー音楽)風の哀調と親しみがない交ぜになったメロー(mellow)な雰囲気に音楽はつつまれている。この弦の、ロマンに彩られた芳醇な響きの妖しさの背後には、同時代人でもあるシャルル・ボードレールCharles Baudelaire(1821 - 1867)が時代に感じ取った病いといえる、 アンニュイ(ennui)、退屈、退廃、憂愁を聞き取ることができるだろう。取り繕い紛らすための逆説的優美であり、甘美でもある。そうした美で埋めざるを得ないほどに時代はすでに病んでいたのだろう。甘美にロマンを歌い上げなければ埋めることのできない空隙をもって人は狂騒し愁い哀しんでもいた。斯く心裡内面の悲愁が響いてくるようだ。ちなみに同国人フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェFriedrich Wilhelm Nietzsche(1844 - 1900)もそうした時代性を共イメージ 3有する【ただニーチェは「ブラームスが創造したものは無能力のメランコリー(憂鬱や悲哀)である」。と否定的言辞を述べているようだけれど、時代はともに撃っているのは間違いないことだろう】ところで、主たるトーンは変わらずだけれど、カップリングされている『クラリネット五重奏曲ロ短調 作品115』(1891)こそは、まさにブラームスの響きの芳醇、悲愁の極み、 絶巓なすものといいたくなるほどの作品であり、私には『弦楽五重奏曲第二番』よりも、クラリネットの響きがそうさせるのか、落ち着き、いやこれをしも人生の諦念といっていいのかどうか知らないが、これでよし!との声が響いてくる風情でもある。渋く、すばらしい熟成の生の薫り高い室内楽の音の世界である。先日来の、わが町の図書館からの貸し出しCDでの鑑賞と相成った。ありがたいことである。

                          フリードリヒ・ニーチェFriedrich Nietzsche