yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

全身響きと化し耳となり、その醸す響き、余韻は理知というより生理に近い迫真である。ツトム山下の『刑務所の歌』(1972)

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Hans Werner Henze: Prison Song

            

70年初頭、天才パーカショニスト登場で騒がれたツトム山下。文字通りそうなのだけれど、最近はどうしているのだろう。たぶん私が知らないだけなのだろうが。1947年京都生まれというから、まさしく団塊世代である。たぶん記憶するところ、知る人は知るではあっただろうけれど(なんでも14歳の時には既に大フィルのティンパニ奏者をつとめ、東京の四つの主要映画スタジオの専属打楽器奏者でもあったそうだ。またそのときに黒澤明の映画「用心棒」のサウンドトラック音楽を演奏したとのことである。)彼も外国での評価が逆輸入されて日本で大きくブレークした音楽家の一人だったはず。私のブログでも≪一人の異能の傑出した打楽器奏者・山下ツトムの演奏を構想の当初から念頭に作曲されたそうである≫と武満徹『カシオペア』と≪音のゆくすえ、音を出したあまりの部分に濃密な余韻を響かす武満徹『四季・シーズンズ』とタイトルして拙い印象批評の文字を書き連ねている。70年代にこのようなアルバムに顔を出し、またロックなどとの競演やらでマルチプレーヤーとして常に耳にしていたけれど、その後当方現代音楽の音盤蒐集などから遠ざかったせいもあり、不通である。ネットを覗いていて、≪舞台や映画等の音楽監督として活躍されている。≫とのブログ記事を目にした次第である。先の武満作品と同様、今回取り上げるアルバムも異能のパーカショニスト・山下ツトムのために作曲された作品ばかりが収められたレコード『刑務所の歌』(1972)である。ハンス・ヴェルナー・ヘンツェHans Werner Henzeの『刑務所の歌prison song』(1971)、武満徹の『四季・サラベール版seasons』(1971)、それにイギリスの優れた作曲家ピーター・マクスウェル・デイヴィスPeter Maxwell Daviesの『鐘楼turris campanarum sonantium』(1970)。いずれもまさに<聞く>ということの本源、すなわち≪神々との交通のしかたは、神に祈りを告げること、そして神がそれに応える声を耳聡く聞くことからはじまるのである。・・音こそが霊なるものの「訪れ」であった。・・神の姿は肉眼にみえるものではない。ただその「音なひ」を聞くことだけができた。「きく」ことは、「みる」こと以上に霊的な行為であった・・≫(白川静「文字逍遥」・平凡社」)を思いおこさせる響きと余韻に充ちた作品であり、また<間・MA>イメージ 2 イメージ 3静寂など、日本的感性に思い至るパーカッションパフォーマンスといえるだろうか。武満の作品以外の2作品ではテープ音源などを使用して音響空間を作り上げている部分があるにせよ、ほとんどパーカッションだけで作り上げた音響世界に魅かれこそすれ退屈をおぼえさせないのも見事というほかない。その醸す響きは理知というより生理に近い迫真である。ところでネットで探しても活動振りが窺えないのはどうしたことなのだろう。それにポートレイトの一枚も出てこないとは。


     (左)ピーター・マクスウェル・デイヴィス   (右)ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ  

(4/2付記―検索文字を外国で表記されていると言うStom yamashitaでしたところヒットしたので興味のある方は覗いてください。どうやら活動を再開しているようだ。Stomu Yamashta Stomu Yamashta Home Page)