yuki-midorinomoriの日記

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≪「顧みられぬ非凡の作曲家」≫ 黛敏郎、没後10年に思う。

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黛 敏郎 (Mayuzumi, Toshiro) Prélude pour quatuor à cordes (1961)

             

黛敏郎
イメージ 2先日新聞記事で、黛敏郎が亡くなってから4月10日で10年になるが、≪同時代の誰より高度の技法を備え、国際的にも評価されながら、昨年の武満徹没後10年に比べ、作品を演奏し業績を回顧しようとの動きは鈍い≫(日本経済新聞)とあった。大見出しは≪「顧みられぬ非凡の作曲家」≫とあった。これを読んだ人は、大方察しがつくこととおもわれる。私もよく見ていた、黛敏郎司会(企画にも参与)するクラシック音楽の啓蒙番組「題名のない音楽会」は実に64年の放送開始以来、病没でしりぞくまで33年に亘る長寿番組だった。その番組で≪黛がなくなるまで14年間、担当ディレクター、プロデューサーとしてつきあった大石泰(現在は東京藝術大学演奏芸術センター助教授)は証言する。社会との関連なしで音楽は成立し得ないと信じる黛さんとしては、政治や天皇も含め、ふだん考えていることを番組で語り発信するのはごく自然の振る舞い。しかしテレビ局やスポンサーは当然それを好まず、いくつかの企画が放映中止に追い込まれた。≫と内情を語っている。こうしたことに現れているように、彼の暫しの保守(右翼)的な政治的言動のゆえに煙たがられていたことは確かだろう。しかし若き日の黛の音楽上の力量は突出しており、その功績(日本からの国際的な発信力)はたぶん音楽関係者の間では否定しようもなく認めるところだろう。武満徹の音楽が、非政治的で純音楽の極致であり、それに文才も立つことからインテリ層のなかで(海外での評価高まるにつれ、それにのっかるようにして)支持されたのに比べ黛の音楽は伝統の取り込みと保守的言動に災いされ、音楽外的なところからの評価に貶しこめられてるきらいがあるだろう。後半生のオペラなどの大掛かりな作品をまともに聞いていないこともあり、大きく保守旋回する前半(これはこれで素晴らしい傑作品群をのこすのだけれど)までをもっての評価に過ぎないのだけれど、私は70年代までの彼の作品に限っていえば、大いに賞賛に値する作品群であるとの評価に躊躇しないだろう。伝統音楽への取り組み、その果敢(『涅槃交響曲』(1958)など)は、音楽史的作品の結実として素晴らしいものがある。若き日々のアヴァンギャルドとしての活動、そうした実践で得たものがあってこその伝統音楽の再創造、蘇生であったといえるのではないかと私は思っている。とはいうものの、あの劇的なまでのアヴァンギャルドからの転回(ケーレ)の背後に何があったのかはハッキリとは分からないが。すくなくとも当時の先端(セリー)作曲書法、コンセプト(偶然性など、ケージの初来日に携わっていたはず)、音楽事象などへ目配せしていたその素地があってこその転回(ケーレ)であった。後の保守的な政治発言をもってこうしたことが検証されず葬り去られるのは由々しきことで、黛個人の私的音楽史の検証以上に<日本>の音楽を考える上でも大事なことのように思われる。私は、彼の保守政治的立場に全く与する者ではないにもかかわらず、私の聞いてる限りの少なくとも70年代までの黛敏郎の作品・音楽は通暁したあらゆる書法と日本のメンタリティーとの素晴らしいオーケストレーションでの昇華結実として賞賛支持するものである。ながながと前段で時間を費やしてしまったので、肝心の取り上げるアルバムのことが根尽きて出来なさそうである。この廉価盤には実に興味深い黛敏郎が19才の時の作品『10楽器のための喜遊曲』(1948)が収められている。戦後敗戦占領下の生活もままならぬ直ぐの時代に、こうした新古典主義的な軽やかな作風の作品が19才という若者が生み出したことに奇異な感じを抱くのは、私だけだろうか。まるでレビュー(revue)での軽音楽の如く洒脱で、しかしもの哀しさを隠しもつ華やかさでもある風情である。精一杯暗き世相の空気にモダニストたらんと健気にも抗っているといった趣である。さて次の曲は『弦楽四重奏のためのプレリュード』(1961)。この作品などこそがこのもっとも果敢充実な6~70年時代の黛を示している作品ともいえよう。チェリスト堤剛の日本人作曲家によるチェロソナタ作品集の紹介ブログ記事にもあった『無伴奏チェロのためのブンラク』(1960)で創り出された音色世界の弦楽合奏版ともいえるだろうか。その音色に日本・伝統を聞くといったところだろうか。この作品や「プリペアド・ピアノと弦楽のための小品」(1957)といった純<現代音楽>を一方で作曲しながら、もう一方で「涅槃交響曲」(1958) 「曼荼羅交響曲」(1960)「昭和天平楽」(1960)「BUGAKU」(1962) 交響詩「輪廻」(1962)などを作曲していたのだ。この旺盛な創作エネルギーとこの転回。まことに興味あるところである。そうした意味でも没後10年という区切りをもって検証すべきであり、決して≪「顧みられぬ非凡の作曲家」≫ に終ってはならない作曲家であり、戦後現代音楽史であるだろう。


Mayuzumi- Mandara