yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

電気変換されたウェーブノイズ音のノスタルジックな気配の世界。シュトックハウゼン『SPIRAL』(1971)ほか。

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Stockhausen: "Spiral" 1/2

            

      
「物質は光をめざし 光はただ物質を生みつづける
             光を量ろうとしても無駄だ
                    それは神に手をかけている」 (松岡正剛

絞首台のような枠の中でそれは白熱した。その光は牽牛星のように燐光ににた光彩をもっていた。スイッチをひとひねりすると、強い光が消え去り、白金が小さなガラス球のなかでかすかに輝いていた。―――T・A・エジソン

凡(およそ)天地の間に、火程尊き物なく、その火の道理を目前に喩(さと)す故、ゑれきてるほど尊き器もなし。―――平賀源内

「神は言われた。『光あれ。』こうして光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分けられた」―――旧約聖書「創世記」第3節


イメージ 2まことにひかりを作り出す電気(電子)とは姿かたちが見えぬゆえ不思議の魅力にみちているようだ。いうまでもなく姿かたちの見えぬもの、それらは気配として訪れる神を予感させる。≪神は見えません。見えるとしたら、それはヴィジョンの中です。神はきっと光とか信号とか情報のようなものです。≫(松岡正剛『花鳥風月の科学』(淡交社))というわけである。音といい、光といい、それらは波・ウェーブに乗ってやってくる。音も光も波・ウェーブ(粒子でもあるが)であり(だが、本当なのだろうか、イメージとして異論はないのだけれど、その表象はそうとしか今のところ人間には結像しないからではないのだろうか。ひと昔まえ、原子の構造だって太陽系に擬するような円環構造で説明されていた、しかしはや現代では怪しい表象といえないだろうか。あまりにもはっきりし過ぎているではないか。形定まらぬ雲みたいな表象が妥当なのかもしれない。勿論これだって時代性(観念のパラダイム)の制約でのイメージに過ぎないのかもしれない。あるがままにみるというけれど、しかしこれだって観念の屈折率でゆがんで見えてるだけかもしれないのだ。人は志向性の埒外は見えていないものだ。注意関心から漏れたものは存在すれど見てはいないし、聞いてもいない。カクテルパーティー効果ということばもある。またまた横道に逸れた。ところで、かつて誰しもがラジオ(アナログ)少年であった団塊シルバーには、選局のために同調(チューニング)ダイヤルをまわしている折、まるで地球のはてからの交信のごときラジオから流れてくる雑音交じりの押し寄せては引くウェーブ音のラジオ放送へのときめきは、言いしれぬノスタルジーを感じられることだろう。そうしたことを以前≪虚空の彼方よりもたらしてくれた音連れ、雑音交じりの電波ウェーブの不思議のざわめきを思い起させるシュトックハウゼンの電子音とコンクレートのための『HYMNEN・讃歌』(1966-68)]≫と題して ブログにも書いた。≪このアルバム(『HYMNEN・讃歌』)の始まりも、そうプッシュボタンではダメなのだ。ラジオの選局、虚空にひしめき混在する電波のダイヤル同調(チューニング)時のえもいわれぬさまざまな放送の混在した騒雑音、その分明定かならざる電子ウェーブ音から始まるのである。これはもう堪らなくノスタルジーを誘う呼びかけのウェーブ音である。【昭和21年(1946年)、中学生だった私はラジオから流れてくるNHK交響楽団の演奏に聴き入っていた。焼け残った大阪・中之島の朝日会館で開いた、N響の戦後初めての演奏会だった。故朝比奈隆さんはそのコンサートを満州中国東北部)で聴いていた。拾った鉱石で組み立てたラジオが流す、ベートーベンのシンフォニーに望郷の念をかき立てられたという。朝比奈さんは翌年、引き揚げて大阪フィルハーモニー交響楽団の前身、関西交響楽団を結成する】(小松左京・日経「私の履歴書」より)。≫また不思議のざわめき、存在的郷愁のノイズ世界を聴くジョン・ケージ 『VARIATIONS Ⅱ』として≪ジョン・ケージの『VARIATIONS Ⅱ』を良きパートナーであるデヴィッド・チュードアDAVID TUDORがアンプリファイドピアノサウンドをフィードバック、ジェネレターを使ってのレアリゼーション=パフォーマンスしたもの。A面26分に亘る静寂をも取り込んだノイズの音連れは機械の中身、また、背後に興味を持つ少年の心を呼び覚ましてくれるもののようでもある。(少年三島由紀夫蒸気機関車やラジオの裏側にはどうしても関心をもてなかったと父親の回想記に述べられているそうである)かつて工作での鉱石ラジオ、ゲルマニューム発光ダイオードラジオからかすかに聞こえてくる音、電波のあいまいな検波同調がつくりだすウエーブノイズは少年の心への不思議のざわめき、音連れであった。【……彼は雨に濡れたまま、アスファルトの上を踏んで行った。雨はかなり烈しかった。彼はしぶきの満ちた中にゴム引きの外套の匂いを感じた。すると目の前の架空線が一本、紫色の火花を発していた。彼は妙に感動した。彼の上着のポケットは彼らの同人雑誌へ発表する彼の原稿を隠していた。彼は雨の中を歩きながら、もう一度うしろの架空線を見上げた。架空線はあいかわらず鋭い火花を放っていた。彼は人生を見渡しても、何も特に欲しいものはなかった。が、この紫色の火花だけは、凄まじい空中の火花だけは命と取り換えてもつかまえたかった……】(芥川龍之介「ある阿呆の一生」より)これは松岡正剛の『電気は文学である』なるエッセーからの孫引きである。電気がもたらす青白いスパークする鮮烈な光と音に不思議を感じる眼差しには《命と取り換えイメージ 3てもつかまえたかった》と言わしめる、なにやら存在のそこはかとない<無>に溶けいる消息の気配さえ感じさせる。電気ノイズにはこのような存在の無の気配の招来を感じさせるものがありはしないだろうか。≫とも書いた。
まことにカールハインツ・シュトックハウゼンKarlheinz Stockhausenの、数百年の伝統的調性音楽からの解体的な離脱、まるで電気配線図かチャート図のようなスコアーから作り出されるエレクトロニクノイズ音楽は近未来音楽などというよりは、もっと始原的でノスタルジックな存在論的な何物かを思いを起こさせるものと云えはしないだろうか。LP2枚に収められた作品すべてこのような電気変換されたノイズ音で調性からの離脱が果敢されている。


以下は拙ブログよりの再録。――――
以下は、現代前衛音楽普及におおいに力あずかった評論家、故秋山邦晴のオブジェマガジン『遊』<1005>(1979)にて<電気・電子音響音楽史>を語った文章からの抜粋である。

≪電気で音を出したいという発想は、結局のところ「知覚の拡張」と「音の無限分割」に対する人間の憧憬にもとづいているのでしょうね≫

≪音というのは不思議なほどに認識と深く結びついているのですよ。とくに現代音楽と.知的頭脳の構造的変化との関係は緊密です。現代音楽は認識の音楽でもある。………演奏が認識作業であり知覚の自由な拡張である………音こそが肉体の限界を超えるためにあると考えるべきではないでしょうか。「われわれの新しい電気的テクノロジーはわれわれの中枢神経組織の拡張である。」(マクルーハン)≫

電子音楽の誕生において、≪原始古代では調律されていない騒音や雑音が主体であった音楽は次第に平均律の構造にむかい、近代においてすっかり騒音を駆除し終わったところへ、再び騒音の復権が持ち出されてきたという結構をみることができる。「騒音から楽音へ」という古代から近代への流れは、1950年前後のミュージックコンクレートと電子音楽によって大軌道転回を迎え、再び「楽音から騒音へ」の正念場を経験させられるわけです。≫

≪このミュージックコンクレートと電子音楽の誕生に関しては、1930年代をピークとして足踏みをしはじめた量子力学の歩みが一歩において語られるべきかもしれない。J・Jトムソンによって発見され、ヘルマンワイルによって「自然の新しい主語だ」とまで言われた電子(エレクトロン)が、いっさいの量子力学的思索を終了した1940年代から徐々に現代音楽の底辺に滲み出し、50年代になって遂にテープ上に定着された――とも俯瞰することができるわけです。≫

シュトックハウゼン電子音楽の最大の発見はリズムと音高と音色が物理学的に同一のものであったということにある、と言いますが、この言葉にはハイゼンベルクらの量子力学がもたらした「物理学的統一像」のイメージがあきらかに音の世界像とアイデンティファイされている事情を窺うことさえできそうです。実際にもセリー・アンテグラルの『音価と強弱のモード』(オリヴィエ・メシアン1947)や、シュトックハウゼンのこの時期の多くの曲にみられるようにここにおいてはじめて音はひとつのフィジカルなスペクトルとしてとらえられた。音をスペクトルとして設定すると、たとえば単純に言って、スペクトルの最低周波数が音の音高となり、同じスペクトルの高次な部分音が音色となり、またこの音をそのまま低い音域に移し変えてやれば、音色を表現していた部分音は周波数に応じて音高を表現しはじめるに至る――といったことになる。もっと低周波に移してやれば、単純な周期的なパルスにもなるわけですね。このような考え方をセリー・アンテグラルと言いますが、それは、音を時間函数の内にとらえうるきわめて量子力学的な発想だったとも言えるわけです。ここに音は新しい「組織思考」をもつに至った。≫

≪こうして日常のなかの音、一滴の小さな水音、物体にひそむ音、生理にからむ音、その他多くの音が電気的に増幅することが出来るようになると、鋭い音楽家たちの思考はその作曲方法をあらゆる分野に求めるに至ります。数学はむろんのこと、生物学や物理学、あるいは中国の易の方法やロールシャッハ・テスト、さらには地下鉄路線図からランダムパターンや落書きにいたるまでもが、音づくりの原形やマニエラとして活用され、ここにジョン・ケージのいうところの「チャンス・オペレーションによる作曲」の時代が到来したわけです。≫