yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

しゃーないで。世のなかままならん。這いつくばって、泥のように生きていこう。なあ、ご同輩。『憂歌団・生聞59分』(1976)

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== 憂歌団 / 嫌んなった 【ライヴ】
           

憂歌団木村充揮
イメージ 2大阪弁はブルースが似合うらしい。私の思い込みかもしれないけれど、ブルースフィーリングをもった歌手といえば、大阪出身が多いようだ。上田正樹もそうだ。フリージャズ、現代音楽を主に聞いていた人間にとって、『憂歌団』を知った事は驚きであった。何たるしゃがれた、ひしゃげた?つぶれた?!声。この声と大阪弁のイントーネーションは、まことブルースに破格にマッチしたものだった。それとこのグループの醸し出す、四六時中酔っ払ったような雰囲気はブルースによく似合う。小さなライヴハウスではやりとりで多分やんやの喝采、本領発揮なのだろうと推察する。そうしたことがアルバムでも味わえるのが、この今日取り上げる『憂歌団・生聞59分』(1976)とタイトルされたライヴレコード。

タモリ――・・・何か、俺、憂歌団の木村君(ギター、リードボーカル―引用者)の歌、聴いていると、ひょっとすると一番上手い歌手じゃないかってきもしてくるのね。
相倉――ウン、ウン。いや以前から何度も言っているんだけども、本当に木村君の声っていうのは、すごい財産と思うよ。
タモリ――財産ですね。
相倉――まあ、前代未聞。
タモリ――前代未聞のサーカス、みたいなもんですよ。
相倉――ああいう声は作ろうといったって作れるものじゃないし、ま、常識的には、ああいう声の持ち主だと、歌を歌おうという気にならないんだけれど。
(レコード中入れ対談記事より)

「パチンコ~ランラン・ブルース」の、仕事終わって今日もパチンコ、明日もパチンコと浮き立つ心とやけくそぶりがたまらない。それに≪1975年、アルバム「憂歌団」でデビュー。同作収録の「おそうじオバチャン」は、彼らの代表曲として知られているが、「掃除婦に対して差別的な歌である」との理由により、放送禁止処分を受けた≫(WIKIPEDIA)。その「おそうじオバチャン」の切ないブルース。

わたしゃビルのおそうじオバチャン 
わたしゃビルのおそうじオバチャン
モップ使って仕事する

朝・昼・晩と便所をみがく
朝・昼・晩と便所をみがく
ウチの便所はもうイヤヨ

1日働いて、2.000円!
今日も働いて、2.000円!
明日も働いて、2.000円!
クソにまみれて、2.000円!
わたしゃビルのおそうじオバチャン

こんなわたしにもユメはある
こんなわたしにもユメはある
かわいいパンティはいてみたい
きれいなフリルのついたやつ
イチゴの模様のついたやつ
黄色いリボンのついたやつ
アソコの部分のスケてるの
わたしのパンツはとうチャンのパンツ

わたしゃビルのおそうじオバチャン
わたしゃビルのおそうじオバチャン
今日も歌って仕事する


さて最後に、切なくがんばる、踏んだり蹴ったりの俺をやけくそに歌い上げる「嫌んなった」で筆を擱こう。


嫌んなった、もう駄目さ
だけどクサるのは止めておこう
陽の目をみるかも、この俺だって

嫌んなった、あの野郎
他に男がいたなんて
こんなつらいのは、まるで初めてさ
もひとつ気張って
いい娘を見つけに出かけよう
何とかしてくれ、神様、仏様

嫌んなった、もう駄目さ
だけどクサるのは止めとこう
陽の目をみるかも、この俺だって

嫌んなった、もう駄目さ
だけどクサるのは止めとこう
陽の目をみるかも、この俺だって
      
     作詞: 沖てる夫 作曲:憂歌団


しゃーないで。世のなかままならん。這いつくばって、泥のように生きていこう。なあ、ご同輩。